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2月23日(水) [矛盾について(その209)]

 誰かがぼくの帰りを待ってくれていると気づいて、ぼくの「いる」ことが肯定されていると感じられ、どんな地獄の中でも希望を失わずに帰れる日を待つことができるということを確認してきました。
 ここまでの道筋を振り返っておきますと、「自分でどうしたいと思っても、なるようにしかならない」という宿業の感覚は、一方では、どんな希望をもっても無駄だという無力感に陥らせます。しかしその一方で、「どうもがいてもなるようにしかならない」のだから、「明けない夜はない」と思ってじっと耐えて待とうとも思える。宿業にはこの二面があるということを考えてきたのです。「なるようにしかならない」から「何をしても無駄だ」と思うか、それとも「なるようにしかならない」から「できるだけのことをしよう」と思うか、両者を分けるのは何でしょう。
 「いる」ことが肯定されていると感じられるかどうか、これです。
 「こうしたい」と思っているはずなのに、それを簡単に裏切ってしまう自分がいます。自分の「する」ことほど当てにならないものはありません。ここから「卯毛羊毛のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずといふことなし」ということばが出てきます。善をなそうとしてつい悪に手を染めてしまう自分。そんな自分の「いる」ことがそのままで肯定されていると感じられるかどうか。もし感じられなかったら、そんな自分に絶望し、何をしたって意味がないと頭を抱えるしかありません。でも、こんな自分だけど「いる」ことは肯定されていると感じられたら、こんな自分のまま「できる範囲でやれるだけやろう」と思えるのです。
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