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1月7日(土) [矛盾について(その522)]

 戦争という時代の悪に悩むということは、実はその中で否応なく突きつけられてくる自分自身の悪に悩むことだと言いました。戦争体験者の腹の中に押しこめられてきたもっとも深い悩みというのは、「申し訳ないことをしたなあ」という言葉に凝縮されていると思うのです。マルクスの言うように、社会体制の悪が根本だとしても、その悪は自分の悪と一体となっているということを忘れてはいけない。社会体制の悪の中で自分自身の悪と出会わなければならないということ、ここにぼくらのほんとうの悩みがあるということです。
 社会の悪、時代の悪は、ぼくら一人ひとりの悪と別ではないということ。
 ここでぼくら一人ひとりの悪と言っているのは、仏教的にいいますと煩悩のことです。親鸞は「罪悪深重、煩悩熾盛」(『歎異抄』第1章)と言いますが、これは同じことを重ねているのであって、罪悪とは煩悩のことです。懺悔という言葉は、仏教ではこれを「さんげ」と読みますが、キリスト教からの影響でしょうか、どこか深刻な響きがあります。犯した罪を神に告白し、その許しを求めるというように。同じように罪悪も「神の命令に背く」というニュアンスがありますが、仏教では、欲をおこしたり、腹を立てたり、愚痴をこぼしたりといったことで、それに「あいすみません」と頭を下げることです。

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