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本文3 [はじめての『尊号真像銘文』(その18)]

           第2回 おのづから不退転に致る

(1)本文3

 又言「其仏本願力 聞名欲往生 皆悉到彼国 自致不退転」と。

 「其仏本願力(ごぶつほんがんりき)」といふは、弥陀の本願力と申すなり。「聞名欲往生(もんみょうよくおうじょう)」といふは、聞といふは如来のちかひの御なを信ずと申すなり。欲往生といふは安楽浄刹(じょうせつ)に生れんとおもへとなり。「皆悉到彼国(かいしつとうひこく)」といふは、御ちかひのみなを信じて生れんとおもふ人は、みなもれずかの浄土に到ると申す御ことなり。「自致不退転(じちふたいてん)」といふは、自はおのづからといふ。おのづからといふは、衆生のはからひにあらず、しからしめて不退の位にいたらしむとなり。自然といふことばなり。致といふは、いたるといふ、むねとすといふ。如来の本願のみなを信ずる人は、自然に不退の位にいたらしむるをむねとすべしとおもへとなり。不退といふは、仏にかならず成るべき身と定まる位なり。これすなわち正定聚の位にいたるをむねとすべしと説きたまへる御のりなり。

 (現代語訳)
 また『無量寿経』に、「その仏の本願力、名(みな)を聞きて往生せんと欲へば、みな悉くかの国に到りて、おのづから不退転に致る」とあります。

 「その仏の本願力(其仏本願力)」と言いますのは、弥陀の本願力のことです。「みなを聞きて往生せんと欲へば(聞名欲往生)」の「聞」とは、如来の誓いの名号を信じるということです。欲往生とは、安楽浄土に生まれたいと思いなさいということです。「みな悉くかの国に到りて(皆悉到彼国)」と言いますのは、誓いの名号を信じて往生したいと思う人は、みなもれずに浄土に至るということです。「おのづから不退転に致る(自致不退転)」と言いますのは、「自」は「おのずから」ということです。「おのずから」と言いますのは、衆生のはからいによってではなく、そのようにしからしめる力によって不退の位につけられるということです。自然ということです。「致」とは、「いたる」ということ、あるいは「むねとする」ということです。如来の本願の名号を信じる人は、自然に不退の位に至ることをむねとすると思いなさいということです。不退というのは、必ず仏になるべき身と定まった位です。つまり正定聚の位に至ることをむねとすると説いてくださっているのです。

タグ:親鸞を読む
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