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「これはおれのものだ」 [『ふりむけば他力』(その106)]

(2)「これはおれのものだ」

 物語ということばは多義的ですが、それをもっとも広く、「多くの人々によって語り継がれてきたこと」と受け取りたいと思います。そのなかには「実際にあったこととして語られてきたこと」もあれば、「架空のこととして語られてきたこと」もあります。前者は歴史としての物語で、後者は文学としての物語ですが、どちらもこれは語り継ぐに値すると多くの人たちから評価されたからこそ、今日まで伝えられてきたわけです。そこからしますと、物語の本質は、人から人へと語り伝えらえていくこと、リレーされていくことにあると言えます。
 さて今日まで語り継がれてきたことは無数にあり、それがわれらの文化を形づくり、その上にわれらの生活が成り立っているのですが、そのなかでももっとも古く、そしてもっとも奥深くにあるものが「〈わがもの〉の物語」ではないでしょうか。
 われらの先祖は、もう果てしない昔から互いに「これは〈わがもの〉である」と言い合いながら暮らしてきました。ひょっとしたら、これはことばそのものが生まれたのと同じくらい古いのではないかと思われます。ことばをもつ動物が人間であるとしますと、人間が人間になったときから、もう「これは〈わがもの〉である」と言い合うようになったのではないでしょうか。以来、これはもう疑うべからざることとして、というよりも、われらが空気を吸うのが当たり前のように当たり前のこととして世代から世代へと伝えられてきました。で、だれ一人これを不思議に思うことなく、当たり前すぎることと受けとめてきたのですが、そこにルソーという変わり者が「こんな詐欺師の言うことを聞くのは用心したまえ。産物が万人のものであり、土地がだれのものでもないということを忘れるならば、君たちは破滅なのだ!」と叫んだのです。
 私的所有は、その上にわれらの自由と独立が成り立ち、そしてその上に法律と国家がつくられている土台として、もうだれ一人その正当性を疑うことはありません(カンボジアのポルポトがそれを否定しようとして、どんなに悲惨な状況を生み出したかはまだ記憶に新しいものがあります)。しかしそれはあくまでも物語であること、誰かが「ある土地に囲いをして『これはおれのものだ』と言うことを思いつき、人々がそれを信ずるほど単純なのを見いだした」ときよりこのかた世代を超えて語り継がれてきた物語であること、これを忘れるわけにはいきません。

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