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偈文5 [正信偈と現代(その37)]

             第5回 弥陀と釈迦

(1)偈文5

 如来所以興出世(にょらいしょいこうしゅっせ)  如来、世に興出したもう所以(ゆえ)は、
 唯説弥陀本願海(ゆいせつみだほんがんかい)   ただ、弥陀本願海を説かんとなり。
 五濁悪時群生海(ごじょくあくじぐんじょうかい) 五濁悪時の群生海、
 応信如来如実言(おうしんにょらいにょじつごん) まさに如来如実の言(みこと)を信ずべし。
 
 (現代語訳) 釈迦をはじめとする多くの如来がこの世に出でたまうのは、ただただ弥陀の本願を説くためです。この穢れと悪に満ち満ちた時代に生きるわれら一切衆生は、まさに如来の真実のことばを信じるべきです。

 この部分についても『尊号真像銘文』に親鸞自身の解説がありますので、それを読んでおきましょう。

 「如来所以興出世」といふは、諸仏の世にいでたまふゆへはとまふすみのり也。「唯説弥陀本願海」とまふすは、諸仏の世にいでたまふ本懐は、ひとへに弥陀の願海一乗のみのりをとかむとなり。しかれば『大経』には「如来所以興出於世、欲拯群萠恵以真実之利(にょらいしょいこうしゅつおせ、よくじょうぐんもうえいしんじつしり―如来、世に興出したまふゆゑは群萠を拯(すく)ひ、恵むに真実の利をもってせんと欲してなり)」とときたまへり。如来所以興出於世は、如来とまふすは、諸仏とまふす也。所以といふは、ゆへといふみこと也。興出於世といふは、世に仏いでたまふとまふすみこと也。欲拯群萠は、欲といふは、おぼしめすとなり。拯は、すくはむとなり。群萠は、よろづの衆生をすくはむとおぼしめすと也。仏の世にいでたまふゆへは、弥陀の御ちかひをときてよろづの衆生をたすけすくはむとおぼしめすとしるべし。「五濁悪時群生海應信如来如実言」といふは、五濁悪世のよろづの衆生、釈迦如来のみことのりをふかく信受すべしと也。

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