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すみません [『ふりむけば他力』(その46)]

(8)すみません

 何が「ありがたい」かと言いますと、あるご縁に遇えたことが「ありがたい」のですが、ここから言えますのは、そのご縁に遇えたのが「ありがたい」のは親切をしていただいた「わたし」だけではなく、親切をしてくださった「あなた」にとっても「ありがたい」ということです。その方にとっても「ありがたい」ご縁に遇えたのですから。災害地にボランティアに出かけた若者が、被災者から「ありがとう」と言われて涙ぐむという場面にしばしば出会います。ボランティアをしてもらった方が人の親切に涙ぐむのは自然ですが、それだけでなく感謝された人も涙ぐむのは、双方ともに「ありがたい」ご縁にめぐりあうことができたからです。
 そしてこころから「ありがたい」と思えたとき、われらの口をついて出ることばに「すみません」があります。このことばも「ありがたい」と同じく味わい深く、そしてこれまた仏教的な感覚が滲んでいます。
 「すみません」とは「こころがあい済まぬ」ということで、この「済まぬ」は元来「澄まぬ」でしょう。相手に対して「こころがすっきり澄みきらない」ということです。人に何か迷惑をかけたとき「こころが澄まない」思いがするのですが、また何か親切をしていただいて有り難く思うときにも、「こころが澄まない」と感じるのです(感謝の「謝」は「礼をいう」ということですが、「あやまる」という意味でもあります)。ここから何かを「ありがたい(あること難し)」と感じるときには、その背後に「そんなことをしてもらえるような自分ではない」という思いがあることが了解できます。そんなことをしてもらって「ありがたく」また「すみません」ということです。
 ついでにもう一つ上げますと、「かたじけない(忝い)」ということばがあります。これも「ありがたい」ということですが、元来は容貌が見苦しく、人前にでるのが「恥ずかしい」、「面目ない」ということで、そこから「身にあまることでありがたい」という意味が派生してきました。ここでも何かが「ありがたい」と思えるのは、もともと「そんなことをしてもらえるような自分ではない」という気持ちがあるからこそであることが了解できます。

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