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白道四五寸 [『教行信証』「信巻」を読む(その144)]

(3)白道四五寸

上に善導の回向発願心釈を引いた関連からでしょう、親鸞はそこで出されていた「二河白道の譬え」について次のように述べます。

まことに知んぬ、二河の譬喩のなかに「白道四五寸」といふは、「白道」とは、「白」の言は黒に対するなり。「白」はすなはちこれ選択摂取の白業、往相回向の浄業なり。「黒」はすなはちこれ無明煩悩の黒業、二乗(声聞と縁覚)人・天の雑善なり。「道」の言は路に対せるなり。「道」はすなはちこれ本願一実の直道、大般涅槃、無上の大道なり。「路」はすなはちこれ二乗・三乗(二乗に菩薩を加えたもの)、万善諸行の小路なり。「四五寸」といふは、衆生の四大五陰(しだいごおん、四大は地水火風。人間の身体を構成するもの。五陰は色受想行識。人間の心身の要素、ここでは貪愛瞋憎の煩悩を指す)にたとふるなり。「能生清浄願心(よく清浄の願心を生ず)」といふは、金剛の真心を獲得するなり。本願力の回向の大信心海なるがゆゑに、破壊(はえ)すべからず。これを金剛のごとしと喩ふるなり。

貪愛と瞋憎の二河のなかの「白道四五寸」という譬えの意味について、欲生心の観点から考察されます。

まず「白道」について、「白」は「黒」に対し、「道」は「路」に対するとされます。そして「白」とは「往相回向の浄業」すなわち如来から回向される清浄な行としての名号であり、対する「黒」は「無明煩悩の黒業」すなわちわれらの虚仮雑毒の諸行です。また「道」とは「本願一実の直道」すなわち本願によってすでに敷設されている大道であり、対する「路」は「万善諸行の小路」すなわちわれらが自力で開く小路です。要するに「白道」とは他力回向の大道であるのに対して、「黒路」は自力作善の小路であるということです。これを欲生心と関連づけますと、「白道」は如来回向の欲生心であり、如来の願心がわれらの心に届いて欲生心となったものであるのに対して、「黒路」はわれらが自力で開く欲生心となります。そして如来回向の欲生心は金剛のごとく「破壊すべからず」であるのに対して、自力回向の欲生心は揺さぶられるとすぐ「動乱破壊」してしまいます。


タグ:親鸞を読む
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