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9月4日(土) [矛盾について(その39)]

 かなりの道のりを歩んできました。簡単に振り返っておきますと、
 第一に、矛盾は「現実」の中ではなく、「言説」の中にあること。
 第二に、言説には「事実の記述」の他に「意思の表明」と「感情の表出」があること。
 第三に、矛盾は厳密な意味では「事実の記述」にのみあるが、「意思の表明」や「感情の表出」においても「Aである、かつ、Aではない」という形をとれば、それを矛盾と呼びならわしていること。
 第四に、「事実の記述」(見ること)に矛盾があれば、「A」と「Aではない」のどちらが事実に合致するかでその真偽を判定することができること。
 第五に、「意思の表明」(意思すること)において対立があれば、事実というよりどころがないから、双方をぶつかり合わせて、妥協点を探るしかないこと。
 第六に、「感情の表出」(感じること)において対立があれば、それはもう如何ともしがたいが、意思の対立の根っ子に感情の対立があることを自覚することで、争いを和らげることができるということ。
 以上を確認してきました。
 なぜ矛盾について考えてきたかと言いますと、仏教には矛盾した言説が満ち満ちているからです。「煩悩即菩提」とか「生死即涅槃」がその典型です。ぼくらが生きているこの煩悩の世界、生死の世界がそのまま菩提の世界(悟りの世界のことです)、涅槃の世界(苦しみのない世界です)だというのですから、これは矛盾以外の何ものでもないでしょう。このことばに仏教の真髄があるとしますと、仏教そのものが矛盾した言説であると言わざるを得ません。そこで矛盾とは一体何だろうと考え始めたというわけです。
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