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わが善き親友(しんぬ) [『教行信証』「信巻」を読む(その32)]

第4回 如来とひとし



 (1) わが善き親友(しんぬ)



    第十八願とその成就文の引用のあと、信を得るとはどういうことかについてさらに『大経』と『如来会』の文が引かれます。



またのたまはく(大経)、「法を聞きてよく忘れず、見て敬ひ得て大きに慶ばば、すなはちわが善き親友なり。このゆゑにまさに意(こころ)を発すべし」と。以上



またのたまはく(如来会)、「かくのごときらの類は大威徳のひとなり。よく広大仏法の異門(極楽浄土のこと。他の諸仏の浄土と異なるということ)に生ぜん」と。以上



またのたまはく(同)、「如来の功徳は仏のみみづから知ろしめせり。ただ世尊ましましてよく開示したまふ。天・竜・夜叉及ばざるところなり。二乗おのづから名言をたつ(ことばを失う)。もしもろもろの有情まさに作仏して、行、普賢にこえ、彼岸に登つて、一仏の功徳を敷演(ふえん、広く説く)せん。時、多劫の不思議をこえん。この中間(ちゅうげん)において身は滅度すとも、仏の勝慧はよく量ることなけん。このゆゑに信・聞およびもろもろの善友(ぜんぬ)の摂受(善知識の教導)を具足して、かくのごときの深妙の法を聞くことを得ば、まさにもろもろの聖尊に重愛せらるることを獲べし。如来の勝智、遍虚空(虚空にあまねくゆきわたっている)の所説の義言は、ただ仏のみ悟りたまへり。このゆゑにひろく諸智土(弥陀の報土のこと。現存の『如来会』には諸智士とある)を聞きて、わが教、如実の言を信ずべし。人趣(人間世界)の身得ることはなはだ難し。如来の出世遇(もうあ)ふことまことに難し。信慧(しんね、信心の智慧)多き時まさにいまし獲ん。このゆゑに修せんもの精進すべし。かくのごときの妙法すでに聴聞せば、つねに諸仏をして喜びを生ぜしめたてまつるなり」と。抄出



 これらの三文はみな、信を得た人は「如来とひとし」いということを述べています。信心の人のことを第一の文では「わが善き親友」と言い、第二の文では「大威徳のひと」と言い、第三の文では「もろもろの聖尊に重愛せらる」と言っていますが、要するに信を得ることで「如来とひとし」い人となるということです。



タグ:親鸞を読む
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