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プーラナ・カッチャーヤナ [「信巻を読む(2)」その88]

(6)プーラナ・カッチャーヤナ

一人目の大臣が登場します。

時に大臣あり、名つけて月称(がっしょう)といふ。王の所に往至して、一面にありて立ちて(傍らに立って)まうしてまうさく、〈大王なんがゆゑぞ愁悴(しゅうすい)して顔容(げんよう)悦ばざる。身痛むとやせん、心痛むとやせん〉と。王、臣に答へていはまく、〈われいま身心あに痛まざることを得んや。わが父辜(つみ)なきに横に逆害を加す。われ智者に従ひて、かつてこの義を聞きき。《世に五人あり、地獄をまぬかれずと。いはく五逆罪なり》と。われいますでに無量無辺阿僧祇(あそうぎ、数えきれないほど)の罪あり、いかんぞ身心をして痛まざることを得ん。また良医のわが身心を治せんものなけん〉と。臣、大王にまふさく、〈大きに愁苦することなかれと。すなはち偈を説きていはく、《もしつねに愁苦せば、愁へつひに増長せん。人眠りをこのめば、眠りすなはちしげく多きがごとし。婬を貪じ酒を嗜(たしな)むも、またまたかくのごとし》と。王ののたまふところのごとし、《世に五人あり、地獄をまぬかれず》とは、たれか往きてこれを見て、来りて王に語るや。地獄といふは、ただちにこれ世間に多く智者説かく、王ののたまふところのごとし、《世に良医の身心を治するものなけん》と。いま大医あり、富蘭那(ふらんな、プーラナ)と名づく。一切知見して自在を得て、さだめて畢竟(ひっきょう)じて清浄梵行を修習して、つねに無量無辺の衆生のために、無上涅槃の道を演説す。もろもろの弟子のために、かくのごときの法を説けり。《黒業(悪い行い)あることなければ、黒業の報なし。白業(びゃくごう、善い行い)あることなければ白業の報なし。黒白業なければ黒白業の業報なし。上業(すぐれた行為)および下業(劣った行為)あることなし》と。この師いま王舎城のうちにいます。やや、願はくば大王、屈駕(くつが、まげて足を運ぶ)してかしこに往け。この師をして身心を療治せしむべし〉と。ときに王答へていはまく、〈あきらかによくかくのごときわが罪を滅除せば、われまさに帰依すべし〉と。


タグ:親鸞を読む
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