SSブログ
「親鸞とともに」その56 ブログトップ

そんなおまえは [「親鸞とともに」その56]

(9)そんなおまえは

「わたしは嘘つきです」は、実は「おまえは嘘つきだ」という「こえ」への応答であるように、「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫」も、実は「おまえは罪悪生死の凡夫である」という「こえ」が聞こえて、それにこだまのように応答しているだけであり、「(わたしは)かの願力に乗じて、さだめて往生を得」もまた、「おまえはわが願力に乗じて、さだめて往生を得」という「こえ」に応答しているだけです。そして「わたしは嘘つきです」には矛盾が孕まれていても、「おまえは嘘つきだ」という「こえ」が聞こえて、それにこだまのように応答することには何の矛盾もないように、「わたしは生死の迷いのただなかにいます、しかしわたしは同時に涅槃のなかにあります」とみずから言うことは矛盾そのものでも、「おまえは生死の迷いのなかにあるが、しかしそのままで涅槃のなかにある」という「こえ」が聞こえて、それに応答することは矛盾でも何でもありません。

抽象的な話がつづきましたが、親鸞に戻りましょう。親鸞は性的な悩みをかかえて「いづれの行もおよびがたき」おのれを感じ、「とても地獄は一定すみかぞかし」と身に沁みたからこそ、それが反転して「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じる」ことができたということですが、これも実はどこかからある囁きが聞こえてきたのではないでしょうか、「そんなおまえはとても地獄は一定すみかぞかし」と。そしてそのとき同時に聞こえたのに違いありません、「そんなおまえを往生させるためにわが誓願不思議はあるのだ」と。この「こえ」が親鸞を救った。かくして親鸞は言います、「たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ」と。こんなことが言えたのは、もうすでに弥陀の誓願不思議の「こえ」に救われていたからです。

親鸞が恵信尼という妻とともに生きはじめたのは京都にいたときか、それとも越後に流罪となってからかは分かりませんが(恵信尼は越後の人であることからしますと、流罪中と考えるのが自然でしょう)、とにかく公然と妻帯するという「非僧非俗」の道を歩みはじめます。


タグ:親鸞を読む
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問
「親鸞とともに」その56 ブログトップ