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10月30日(日) [矛盾について(その453)]

 「なんでオレは」と思うとき、はじめてそれがこころの闇と感じられるのです。完全な闇の中にある人は、欲をおこし腹をたてながら、それを何とも思っていません。人間である以上、欲をおこし腹をたてるのが当たり前じゃないかと思っています。ですから「こころの闇」などと言われても、「なにそれ?」でしょう。
 やはり、それが闇であると思い知るためには光が必要です。
 夜明け前の薄明をイメージしてみましょう。まだ全体としては闇の中ですが、うっすらと東の空が明るくなるとき。そのとき、「なんでオレは」という思いがこころの底から泡粒のように浮かび上がってきます。夜明け前の薄明の中で「こんな自分が」と煩い悩むのです。やがて太陽が昇り、その光明に全身が包まれる中で「そのまま生きていていい」というメッセージが届きます。そのとき、こころの闇が晴れる思いがします、「ああ、救われた」と。
 でも、同時に、その光明はこれまで薄明の中でよく見えなかったこころの闇をまざまざと見せつけてくれます。「光が強くなったということは、その闇がますます深くなったということ」なのです。光は、これまでどんな闇の中で生きてきたのかを、これでもかと映し出してくれるのです。
 光と闇は二律背反の関係ではありません。光が強ければ強いほど、闇は深くなるのです。

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