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現生十益 [「信巻を読む(2)」その52]

(6)現生十益

さて「触光柔軟の願」では、弥陀の光明に照らされたとき「身心柔軟にして人天に超過せん」と言われ、「聞名得忍の願」では、弥陀の名号が聞こえたとき「菩薩の無生法忍、もろもろの深総持を得」と言われます。これは「大いなる力により生かされている」という「気づき」が生まれることで、わが身の上に何が起こるかを述べています。少し前のところで(「信の一念」釈)、真実の信心(「気づき」です)があれば「かならず現生に十種の益を獲」と言われ、「一つに冥衆護持の益、二つには至徳具足の益、三つには転悪成善の益、四つには諸仏護念の益、五つには諸仏称讃の益、六つには心光常護の益、七つには心多歓喜の益、八つには知恩報徳の益、九つには常行大悲の益、十には正定聚に入る益なり」と述べられていました。

真の仏弟子にはこの十の利益があると言うのですが、「触光柔軟」も「聞名得忍」もまさに現生の利益であり、この十益の中では二の「至徳具足の益」や七の「心多歓喜の益」に入るでしょう。「触光柔軟」とはこわばっていた身も心も光に触れてやわらぐということですが、これは囚われから抜け出たときの様子をよく表現しています。これまでは「わが力で生きなければならない」という思いに囚われ、身も心もガチガチにこわばっていたのですが、あるとき「大いなる力で生かされている」ことに気づき、その囚われから抜け出すことができますと、身も心も一気にやわらぎます。これは十益のなかの「至徳具足の益」と言うべきでしょう。

これが「触光柔軟」ですが、「聞名得忍」も別のことではありません。名号が聞こえることにより無生法忍を得るとは「わがいのち」への囚われから抜け出すことに他なりません。これまでは「これはわがいのちである」という思いに深く囚われていたのですが、「大いなるいのちのなかで生かされている」という気づきを得て、「わがいのち」への囚われから抜け出すことができたのです。そのとき目の前の風光がガラリと変わり、心には大きな慶びが起こりますから、これは「心多歓喜の益」と言うべきでしょう。


タグ:親鸞を読む
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