SSブログ
『歎異抄』ふたたび(その49) ブログトップ

人を教えて信ぜしむ [『歎異抄』ふたたび(その49)]

(6)人を教えて信ぜしむ

 いかがでしょう、「わたし」はすべての起点という特別な位置にあるわけではないことがお分かりでしょう。「わたし」は連綿とつづく本願の信のリレーのひとこまにすぎません。釈迦が縁起ということばで言い表したのはこのことです。あらゆるものは(そのなかにはもちろん「わたし」も含まれます)、他の無数のものたちと縦横無尽につながりあっており、われらがこれとかあれとか呼ぶものは、その縦横無尽のつながりの無数の結節点の一つひとつにすぎません。そのつながりから自立して存在するものは何ひとつないということ、これが縁起の思想です。
 これをもとにして「人を教えて信ぜしむ」ことを見なおしてみましょう。「人を教えて信ぜしむ」のは紛れもなく「わたし」です。しかし「人を教えて信ぜしむ」力は「わたし」から出てくるのではなく、あくまで「如来の本願力回向」であるということ、「わたし」はただ「如来の本願力回向」により受けとった本願の信を他の人にリレーしているだけであるということ、ここに還相の秘密があります。このことを具体的な場面で考えてみたいと思います。
 親鸞は29歳のとき六角堂で夢告を受け、その足で吉水の法然を訪ねたのでした。その出会いの場面がどんなふうであったかについて親鸞は何も語ってくれません、ただ「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」と述べるだけです(『教行信証』後序)。おそらく親鸞は思いつめたような顔をして法然と対座したことでしょうが、法然としては、自分がそうであったように比叡山の仏道修行に行き詰まりを感じてやってきた若き親鸞に「よう来られた」と心からもてなしたに違いありません。
 恵信尼は娘への手紙の中でその頃の様子をこう伝えています、あなたの父・親鸞は「また百か日、降るにも照るにも、いかなるたいふ(大風)にも、(法然上人のもとに)まゐりてありし」と(『恵信尼消息』第1通)。非常に濃密な時間が流れたことでしょう、ついに親鸞は「上人のわたらせたまはんところには、人はいかにも申せ、たとひ悪道にわたらせたまふべしと申すとも、世々生々にも迷ひければこそありけめ、とまで思ひまゐらする身なれば」(同)と思い定めるに至るのです。

タグ:親鸞を読む
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問
『歎異抄』ふたたび(その49) ブログトップ