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宿報にてたとひ女犯すとも [「親鸞とともに」その50]

(3)宿報にてたとひ女犯すとも

覚如はこう言います、「建仁三年 癸亥(みずのとい) 四月五日の夜寅時(午前4時ごろ)、上人(親鸞)夢想の告げましましき。かの『記』(「親鸞夢記」という文書)にいはく、六角堂の救世菩薩(観音菩薩)、顔容端巖(たんごん、うるわしい)の聖僧(しょうそう)の形を示現して、白衲(びゃくのう、白色の僧衣)の袈裟を着服せしめ、広大の白蓮華に端坐して、善信(親鸞)に告命(ごうみょう)してのたまはく、〈行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽(行者、宿報にてたとひ女犯すとも、われ玉女の身となりて犯せられん。一生のあひだ、よく荘厳して、臨終に引導して極楽に生ぜしめん)〉といへり」と。

先の恵信尼の書簡と比べますと、いくつかの違いが見られます。まず時期が『伝絵』の方が2年後のことになっていますが、恵信尼の証言から、親鸞は六角堂に参籠した足で吉水に向かったことは確かでしょうから、覚如に何か混乱があったと思われます。次に恵信尼の書簡では聖徳太子の示現であったのに、『伝絵』では救世観音の示現になっていますが、当時、聖徳太子は救世観音の化身と信じられていましたから、これは同じことを言っていると考えられます。そして書簡では「聖徳太子の文を結びて、示現にあづからせたまひ」とあるだけでしたが、『伝絵』ではその文が「行者宿報設女犯云々」であることが明らかにされています。

注目すべきはこの文の内容で、「女犯」ということばがいかにも生々しく、嫌でも目を引きます。そして、この文はそれを禁忌するのではなく、反対に、親鸞に対して「汝に女犯の宿縁があるならば、わたし観音が汝の妻となって最後まで添い遂げてあげよう」というのですから、にわかには信じがたい内容と言わなければなりません。しかし現に「親鸞夢記」と題されたこの文書が今日まで残されているのですから、このような出来事が実際にあったものと考えるしかありません。


タグ:親鸞を読む
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