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はじめての親鸞(その158) ブログトップ

6月4日(火) [はじめての親鸞(その158)]

 『往生要集』の第一章は「厭離穢土」と名づけられ、穢土の諸相が描き出されます。穢土とは、われらが輪廻している六道、すなわち地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天で、それらの世界の醜さ、穢れ、苦しさをこれでもかと描くのです。圧巻はもちろん地獄で、ここに描かれたイメージを元にさまざまな地獄絵、地獄草子が作られ日本人の地獄観が形づくられていきました。
 そして第二章が「欣求浄土」。ここでは一転して極楽浄土の荘厳が描き出されます。藤原道長(彼は源信と同時代の人です)はこのイメージを元に法成寺阿弥陀堂を造り、頼道は平等院鳳凰堂を造ったのです。あるいは極楽図が描かれ、それによってわれらの極楽観が養われていきました。
 中でも重要なものが「来迎」です。源信は極楽浄土には十楽があるとして、その第一に聖聚来迎の楽を上げ、臨終を迎えた念仏行者の前に阿弥陀仏が観音・勢至菩薩をはじめ多くの聖聚とともに現れるさまを描写しています。『観無量寿経』の叙述にもとづいているのですが、源信が『往生要集』の中でこのように来迎のありさまを描いてくれたことで多くの日本人の心に往生のイメージが形づくられたと言えるでしょう。そしてそれが多くの来迎図に描かれ、われらの目の前に親しく手を差し延べてくださる阿弥陀如来への渇仰の思いが増幅させられていったのです。
 このように見てきますと、従来の浄土の教えというのは「厭離穢土、欣求浄土」に尽きると言えます。人は穢土を厭い、浄土に往生することを願うべきである。では浄土に往生するにはどうしたらいいのかというように論が展開していくのですが、おのずからこの世とあの世の接点となる臨終に焦点が絞られることになります。

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