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濁世の起悪造罪は [親鸞の和讃に親しむ(その62)]

(2)濁世の起悪造罪は

濁世(じょくせ)の起悪造罪は 暴風駛雨(しう)にことならず 諸仏これらをあはれみて すすめて浄土に帰せしめり(第59首)

われらこの世でなす悪は、暴風駛雨のようなもの、諸仏われらをあわれんで、帰っておいでとよびかける

曇鸞から道綽に移り、「悪」ということばが多くつかわれるようになります。曇鸞までは無明煩悩と言われていたのが、道綽そして善導になりますと「悪」や「罪」と言われるようになるという印象です。それは、もう無明とか煩悩ということばでは言いつくせないような自分自身の醜さが目の前に突き付けられるようになり、それを「悪」と呼ぶしかなくなったということに違いありません。これまでは、自分は煩悩(貪欲・瞋恚・愚痴)の人ではあっても、悪人とするのは憚られたのですが、もはや自分は悪人ではないとは言えなくなったということです。道綽や善導が『観無量寿経』を重んじたことはそのことと無関係ではありません(道綽の『安楽集』や善導の『観経疏』は『観無量寿経』の注釈書です)。『観無量寿経』は阿闍世や提婆達多の「起悪造罪」を背景として書かれ、それが人々に強い印象を与えた経典です。彼らの「起悪造罪」たるや、もう「暴風駛雨」と呼ぶしかないような激しさです。第18願で「ただ五逆と誹謗正法を除く」とされた罪悪を体現したのが阿闍世であり提婆達多です。

さて阿闍世や提婆達多のような逆悪の人は救われる(往生できる)のか、これが五濁悪世(南北朝時代末期から随・唐にかけて)に生きた道綽・善導の最大関心事となるのは自然の流れです。彼らには、自分は確かに五逆罪も誹謗正法の罪も犯してはいないが、それは阿闍世や提婆達多のような宿縁がなかっただけのことで、もしそうした縁があれば、どんな悪もしかねないという実感があったに違いありません。身の回りにそんな実例がいっぱいあったはずですから。思い出されるのが『歎異抄』第13章です。親鸞は唯円に「人を千人殺せば往生できると言われたら殺せるか」と問い、「わたしの器量では一人も殺せそうにありません」という答えを受けてこう言います、「わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人・千人をころすこともあるべし」と。縁があるかないかが違うだけで、悪人であることにおいて何の違いもないということです。


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