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法然上人にあひまゐらせて [「親鸞とともに」その52]

(5)法然上人にあひまゐらせて

法然が人々に説いていたことにこんなものがあります、「この世でどのような生活をするかは、念仏を第一に考えて、念仏しやすいように生活すべきです。念仏の妨げになるようなことはどんなことも避けなければなりません。独身僧として念仏できなければ、妻帯して念仏しなさい。妻帯して念仏できなければ、独身僧として念仏しなさい。家で念仏できなければ、旅の中で念仏しなさい。旅の中で念仏できなければ、家で念仏しなさい。自分で稼ぎながら念仏できなければ、人の布施で念仏しなさい。人の布施で念仏できなければ、自分で稼ぎながら念仏しなさい。一人で念仏できなければ、みんなと一緒に念仏しなさい。みんなと一緒に念仏できなければ、一人で念仏しなさい。衣食住はみな念仏の助業にすぎません。念仏して安心して往生することが肝心であって、それ以外はすべて念仏の助業なのです」と(法然法話集、私訳)。

この法話を当時の親鸞が知っていたかどうかは分かりませんが、親鸞が受けとった夢のお告げは、法然のもとを訪ねて、お前の悩みを洗いざらい打ち明けよと聞こえたのに違いありません。かくして親鸞は「後世のたすからんずる縁にあひまゐらせんと、たづねまゐらせて、法然上人にあひまゐらせ」ることになります。覚如の『伝絵』によりますと、先の「行者宿報設女犯云々」のお告げはさらにこうつづいたとあります、「これはこれ、わが誓願なり。善信この誓願の旨趣(しいしゅ)を宣説して、一切群生にきかしむべし」と。そのとき親鸞は夢の中でこう思った、「御堂(みどう)の正面にして東方を見れば、峨々(がが)たる岳山あり。その高山に数千万億の有情群集せりとみゆ。そのとき告命のごとく、この文のこころを、かの山にあつまれる有情に対して説ききかしめをはる」と。

これをみますと、親鸞は夢の中のこととはいえ、このお告げはきわめて重いメッセージであり、それは自分の悩みに応えるだけでなく、一切の衆生に説き聞かせなければならないものであると感じたことが分かります。そしてそれを確認するためには、是非とも法然上人にお会いし、このお告げは本願念仏の教えとどう関わるのかについてお聞きしなければならないと思ったということです。


タグ:親鸞を読む
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