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久遠実成阿弥陀仏 [親鸞の和讃に親しむ(その29)]

(9)久遠実成阿弥陀仏(これより諸経讃)

久遠実成(くおんじつじょう)阿弥陀仏 五濁の凡愚をあはれみて 釈迦牟尼仏としめしてぞ 伽耶城(がやじょう、ブッダガヤ)には応現する(第88首)

久遠のほとけ阿弥陀仏、五濁の凡愚あわれんで、釈迦牟尼仏のすがたとり、ブッダガヤにはあらわれる

これまで浄土三部経にもとづいて詠われてきましたが、ここからそれ以外の経典が取り上げられます。この和讃は『法華経』がもとになります。親鸞は天台宗の本山、比叡山延暦寺で20年も学んだ人であるにもかかわらず、どういうわけか『法華経』に言及することはほとんどありませんが、これはその希有な例の一つです。『法華経』の「如来寿量品」の有名な一節にこうあります、「一切世間の天・人及び阿修羅は、皆、今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮(カピラ城)を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たりと謂(おも)えり。然るに善男子よ、われは実に成仏してよりこの方、無量無辺百千万億那由他劫なり」と。わたし釈迦如来はカピラ城に生まれ、伽耶城にほど近く、菩提樹の下で仏となったと言われているが、実を言うと久遠のむかしから仏であるというのです。

さて久遠の仏といいますと、第55首で詠われていましたように、それは「無量(アミタ)のいのち」である阿弥陀仏ですから、釈迦如来とは実は阿弥陀仏に他ならないということになります。「無量」の阿弥陀仏が、あるとき「有量」の釈迦如来としてブッダガヤにその姿を現した(応現した)ということです。すぐ前の和讃(第86首)において、弥陀の本願は永遠なるもの(「いつでもどこでも」あるもの)であるにもかかわらず、それは「いまここ」で遇うしかないことを見ましたが、「無量」と「有量」とについても同様のことが言えます。「永遠なるもの」そのものに遇うことができないように、「無量なるもの」そのものにもまた遇うことはできず、それは「有量なるもの」を通して遇うしかないのです。それは釈迦如来だけではありません、「十方世界の無量の諸仏」もまた阿弥陀仏がそれぞれに応現した姿であり、それらの恒沙の諸仏を通してはじめて阿弥陀仏に遇うことができるのです。


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