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偶然と必然 [『ふりむけば他力』(その42)]

(4)偶然と必然

 「たまたま」と「そうなるべくして」とは真逆であり、「これは偶然です」ということは「これは必然ではありません」ということです。しかし縁起においては偶然と必然はひとつになっています。
 縁起とは、あらゆるものは他のものと縦横無尽につながりあっているということですが、さてしかしわれらにはそのつながりを見通すことができません。雲間から光がさし込み、ある範囲だけはその円光のなかに照らし出されますが、その外は薄暗くてぼんやりとしているというイメージです。あるとき、これまでは暗がりのなかにあって見えなかったつながりが突然むこうから目に飛び込んできて、「ああ、つながっていたのか」と思う。これはまさに「たまたま」のことですが、でもそのつながりはもうとうの昔からあったわけで、これまで気づかなかっただけのことです。その意味では「そうなるべくしてそうなっている」と言わなければなりません。
 偶然と必然について「偶然とは必然の認識がないだけのことである」とする立場があります(科学はこの立場に立ちます)。必然であるのにそれを知らないから偶然と思うだけということです。いま述べていますのはそれとよく似ていますが、微妙に、しかし本質的に異なります。「偶然は必然の無知にすぎない」とするのは、われらは必然のつながりを知ることができるという立場に立っています。知ることができるのだが、今のところまだそこまで認識が及んでいないから偶然に見えるだけということです。しかし縁起というつながりには、それをわれらは見通すことができないという諦め(「明らめ」)があります。すぐ前のところで述べましたように(2)、「ご縁」はそれに遇ってはじめて気づきます。あくまで事後にはじめて知ることができるのであって、事前に知ることができないからこそ「たまたま」であるわけです。
 しかし「ご縁」に遇うことができますと、そのつながりはそのときはじめて出来たわけではなく、もうずっと前からあったと感じます。もうすでにそのつながりのなかにあったのに、どういうわけかこれまでまったく気づかなかったと思うのです。その意味では「そうなるべくしてそうなっている」と言わなければなりません。かくして「ご縁」は偶然でありつつ、同時に必然であるということになるわけです。

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