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矛盾について(その422) ブログトップ

9月29日(木) [矛盾について(その422)]

 これまで矛盾についてあれこれ考え続けてきたのですが、金子大栄氏はその矛盾を「割り切れない」ということばで表現します。
 「とにかく人生というものは、割り切れないようにできているのである。割り切れない、割り切れないと小言を言いますが、割り切れないようにできている人生を、割り切ろうとするのが、そもそも無理である」と。金子氏は「生きるは悩みなりというところから出発して、死は涅槃なりと期待するところに、仏教らしさがある」と言います。その意味で仏教は「あきらめの教え」なのだと。人生は割り切れないから、悩みが絶えないものであると「あきらめる(明らかに見る)」のが仏教だと言うのです。
 この「割り切れない」という言い回しを味わってみたいと思います。
 4つのクッキーを2人の兄弟に分けるときは、一人に2つずつとすっきり割り切れますが、クッキーが5つありますと、割り切れません。余りが出ます。この余った1つをどうするかという悩ましい問題を解決しなければなりません。長幼の序を重んじて、お兄ちゃんに上げるか、逆にお兄ちゃんには辛抱をしてもらって、弟に上げるか、はたまた、余った1つを半分に割るか、悩みは尽きません。でもどこかでいずれかに決定しなければなりません。割り切れないことを割り切らなければならないのです。そうしなければものごとが一歩も前に進みません。
 こんなふうにぼくらは、割り切れないことを割り切らなければ生きていけないという悩みを抱えているのです。

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