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第10回、本文2 [「『証巻』を読む」その95]

(2)第10回、本文2

次が順菩提門ですが、先の障菩提門と密接不可分ですので、一気に読みます。

順菩提門とは、〈菩薩はかくのごとき三種の菩提門相違の法を遠離して、三種の随順菩提門の法、満足することを得たまへるがゆゑに。なんらか三種。一つには無染(むぜん)清浄(しょうじょう)(しん)。自身のためにもろもろの楽を求めざるをもつてのゆゑに〉(浄土論)とのたまへり。菩提はこれ無染清浄の処なり。もし身のために楽を求めば、すなはち菩提に違しなん。このゆゑに無染清浄心は、これ菩提門に順ずるなり。

〈二つには安清浄(あんしょうじょう)(しん)。一切衆生の苦を抜くをもつてのゆゑに〉(浄土論)とのたまへり。菩提はこれ一切衆生安穏(あんのん)する清浄の処なり。もし作心(さしん)して一切衆生を抜きて生死の苦を離れしめずは、すなはち菩提に違しなん。このゆゑに一切衆生の苦を抜くは、これ菩提門に順ずるなりと。

〈三つには(らく)清浄(しょうじょう)(しん)。一切衆生をして大菩提を得しむるをもつてのゆゑに、衆生を摂取してかの国土に生ぜしむるをもつてのゆゑに〉(浄土論)とのたまへり。菩提はこれ畢竟常楽の処なり。もし一切衆生をして畢竟常楽を得しめずは、すなはち菩提に違しなん。この畢竟常楽はなにによりてか得る、大乗門によるなり。大乗門とは、いはくかの安楽仏国土これなり。このゆゑにまた〈衆生を摂取してかの国土に生ぜしむるをもつてのゆゑに〉とのたまへり。〈これを三種の随順菩提門の法、満足せりと名づくと、知るべし〉(浄土論)と。

障菩提門の「我心貪着自身(がしんとんじゃくじしん)」・「無安衆生心(むあんしゅじょうしん)」・「供養恭敬自身心(くようくぎょうじしんしん)」のそれぞれの遠離に、順菩提門の「無染清浄心(自身のために楽を求めざる心)」・「安清浄心(衆生の苦を抜き安穏ならしめる心)」・「楽清浄心(衆生に菩提の常楽を得しめる心)」が対応しています。表にして整理しましょう。

〈障菩提門〉                    〈順菩提門〉

  「我心貪着自身(自身に貪着する心)」の遠離       ―― 「無染清浄心」

「無安衆生心(衆生を安んずることなき心)」の遠離  ―― 「安清浄心」

「供養恭敬自身心(自身を供養し恭敬する心)」の遠離―― 「楽清浄心」


タグ:親鸞を読む
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