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ただ五逆と誹謗正法を除く [「信巻を読む(2)」その84]

(2)ただ五逆と誹謗正法を除く

この序説部分では釈迦が迦葉に治しがたい病が三つあると語ります。それが謗法(ほうぼう)と五逆と一闡提(いっせんだい)で、謗法は仏法を謗ること、五逆は殺父・殺母・殺阿羅漢(修行を完成した聖者を殺す)・出仏身血(仏を傷つける)・破和合僧(教団を分裂させる)という五つの重罪、そして一闡提は世俗の快楽を求めるばかりで正法を信じないものを言います。この三つの罪はただ仏だけが治すことができると述べられ、これからはじまる阿闍世救済の物語の伏線とされます。

まず考えておきたいのは、この長大な引用の位置づけです。いったい親鸞はどういう意図でこれをここに置いたのだろうかということです。

この引用が終わったところで親鸞はこう言います、「ここをもつていま大聖の真説によるに、難化の三機、難治の三病は、大悲の弘誓を憑(たの)み、利他の信海に帰すれば、これを矜哀(こうあい、深くあわれむ)して治す、これを憐憫(れんみん)して療したまふ」と。謗法・五逆・一闡提という難化の三機も、弥陀の本願という妙薬はこれをたちどころに治療してしまうということです。そしてそれにすぐつづけて「それ諸大乗によるに、難化の機を説けり。いま『大経』には〈唯除五逆誹謗正法(ただ五逆と誹謗正法を除く)〉といひ、云々」と述べています。

これを見ますと、ここで『涅槃経』を引用している親鸞の頭には第十八願の「唯除五逆誹謗正法」という但し書きがあったことが了解できます。

これまで「三心一心問答」を中心として、真実の信心とは何かについてさまざまな角度から述べられてきたのですが、第十八願に「唯除五逆誹謗正法」という除外規定があることについては触れられませんでした。しかし親鸞としてはこれを無視してきたのではなく、まず信心の本質を明らかにして、その上でこの問題にとりかかろうとしたのではないでしょうか。これまでのところで、真実の信心とは如来から賜ったものであり、したがって如来の願心と「ひとつ」であることがはっきりしましたから、その大地の上に立って、いよいよこの困難な問題にとりかかれると考えたと思われます。そこで五逆誹謗正法の具体例として阿闍世の逆悪を取り上げ、『涅槃経』にはどのように説かれているかを参照しようとしたのに違いありません。


タグ:親鸞を読む
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