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第7通第2段 [『末燈鈔』を読む(その192)]

(11)第7通第2段

 御文のやう、おほかたの陳状、よく御はからひどもさふらひけり。うれしくさふらふ。詮じさふらふところは、御身にかぎらず、念仏まふさんひとびとは、わが御身の料はおぼしめさずとも、朝家の御ため国民のために、念仏をまふしあはせたまひさふらはゞ、めでたふさふらふべし。往生を不定におぼしめさんひとは、まづわが身の往生をおぼしめして、御念仏さふらふべし。わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために、御念仏こゝろにいれてまふして、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえさふらふ。よくよく御按さふらふべし。このほかは別の御はからひあるべしとはおぼへずさふらふ。
 なをなをとく御くだりのさふらふこそ、うれしくさふらへ。よくよく御こゝろにいれて、往生一定とおもひさだめられさふらひなば、仏の御恩をおぼしめさんには、こと事はさふらふべからず、御念仏をこゝろにいれてまふさせたまふべしとおぼえさふらふ。あなかしこあなかしこ。

 (現代語訳)お手紙にあります訴訟の答弁は、配慮がよく行き届いていると思います。嬉しく思います。結局のところ、あなたに限らず、念仏する人たちは、自分のことはおいても、皇室のため国民のために念仏を申されましたら結構だと思います。往生を確信できない人は、まず自分の往生を考えて念仏するべきです。しかし、自分の往生は確かだと思われる人は、仏のご恩を思うにつけ、その報恩のために心を込めて念仏し、世の中が平穏であれ、仏法が広まれと思うのがよろしいと思います。よくよくお考えください。これ以外のことは格別にお考えになることはないと思います。
 それにしましても、お帰りになられたことは嬉しく思います。よくよく往生は確かだとこころえられましたら、仏のご恩をしみじみと感じられ、それ以外のことは念頭になく、念仏を心から申されるのがよろしいと思います。謹言。


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