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10月2日(土) [矛盾について(その66)]

 それを煩悩と感じなければ、ひたすら怒るだけで、煩悩なんてどこにもありません。試しにその人に「それは煩悩というものですよ」と声をかけてみたらどうでしょう。それは火に油を注ぐようなものに違いありません、「怒るのが当然じゃないか、何でこれが煩悩なのか」と怒りがさらに増幅することでしょう。
 さらにこう追い討ちをかけてくるかもしれません、「じゃあ、例えば一人息子が誘拐され、惨たらしく殺された場合はどうなんだ。その犯人に対する怒りも煩悩だというのか」と。理不尽な仕打ちに対して怒りを覚えるのは当然で、それが煩悩だなんてとんでもないということです。としますと、煩悩である怒りもあるが、煩悩ではない怒りもあるということになるのでしょうか。
 怒りはどんな場合も煩悩なのか、それとも煩悩ではない怒りもあるのか。
 この問いは、しかし、それ自体に無理があると言わなければなりません。この問いは煩悩をどこかにあるものと見ていますが、煩悩は「見る」ものではなく「感じる」ものだからです。ですから、煩悩と感じる怒りと煩悩とは感じない怒りがあるだけで、煩悩である怒りと煩悩ではない怒りがあるわけではありません。
 この問いには、したがって、こう答えるべきでしょう、「もしあなたがその怒りを煩悩だと感じたら、それは煩悩としての怒りですが、そう感じなかったら、それはただの怒りです」と。
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