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第11回、本文3 [「『証巻』を読む」その110]

(7)第11回、本文3

次に、五功徳門について五念門との関係をつけるとともに、その内容がより詳しく述べられます。まずは入の四門です。

〈この五種の門は、初めの四種の門は(にゅう)の功徳を成就したまへり例によって通常の読みは「成就す」、以下同じ。第五門は(しゅつ)の功徳を成就したまへり〉(浄土論)とのたまへり。この入出の功徳は、なにものかこれや。

(しゃく)すらく、〈入第一門といふは、阿弥陀仏を礼拝してかの国に生ぜしめんがためにする(通常は「生ぜんとなす」)をもつてのゆゑに、安楽世界に生ずることを得しむ(「得」,以下同じ)。これを入第一門と名づく(浄土論)と。仏を(らい)して仏国に生ぜんと願ずるは、これ初めの功徳の相なり。

〈入第二門とは、阿弥陀仏を讃嘆し、名義(みょうぎ)に随順して如来の名を称せしめ(「称し」)、如来の光明智相によりて修行せるをもつてのゆゑに、大会衆(だいえしゅ)の数に入ることを得しむ。これを入第二門と名づく(浄土論)とのたまへり。如来の名義よりて讃嘆する、これ第二の功徳の相なりと。

〈入第三門とは、一心に専念して作願(さがん)して、かしこに生じて奢摩(しゃま)()(止、禅定)寂静(じゃくじょう)三昧(ざんまい)の行を修するもつてのゆゑに、蓮華蔵(れんげぞう)世界(せかい)に入ることを得しむ。これを入第三門と名づく〉(浄土論)。(じゃく)静止(じょうし)を修せんためのゆゑに、一心にかの国に生ぜんと願ずる、これ第三の功徳の相なりと。

〈入第四門とは、かの妙荘厳を専念し観察して、毘婆舎那(びばしゃな)(観、観察)を修せしむるをもつてのゆゑに、かの所に到ることを得て、種々の法味(ほうみ)の楽を受用(じゅゆう)せしむ。これを入第四門と名づく〉(浄土論)とのたまへり。〈種々の法味の楽〉とは、毘婆舎那のなかに、(かん)仏土(ぶつど)清浄味(しょうじょうみ)(浄土の清浄な徳を観ずる法味)摂受(しょうじゅ)衆生(しゅじょう)大乗味(だいじょうみ)(衆生を摂取して大乗のさとりを得させる徳を観ずる法味)畢竟(ひっきょう)住持(じゅうじ)不虚作味(ふこさみ)浄土往生したものが仏の願力により安らかに住持される徳を観ずる法味)類事起(るいじき)(ぎょう)(がん)(しゅ)仏土味(ぶつどみ)(諸仏を供養し、衆生を教化し、無仏の国に三宝を広める菩薩の徳を観ずる法味)あり。かくのごときらの無量の荘厳仏道の味あるがゆゑに、〈種々〉とのたまへり。これ第四の功徳の相なりと。


タグ:親鸞を読む
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