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11月23日(火) [矛盾について(その117)]

 「みんなにひとしく生きる場所がある」という声は「わたし」から来るのでないとしますと、「あなた」から来ると言うしかありません。しかし「あなた」とは誰か?
 もう一度、太郎と次郎に登場してもらいましょう。一つしかない椅子を二人が争い、勝ちを収めた太郎は「やれやれ」と安堵しますが、あるときふと「みんなにひとしく椅子がある」という声がして、その声は太郎の耳には「お前は次郎を押しのけて生きているのだ」と聞こえます。太郎はハッとして辺りを見回しますが、そこには悲しげな次郎の姿しかありません。
 さてはこの声は次郎から来るのかと思い、次郎に問いかけたとしましょう、「これはきみが言っているのか」と。次郎は答えるでしょう、「いや、ぼくはずっと“何でぼくがこんな目にあわなきゃいけないんだ”と嘆いていた。ところが、あるときふと“じゃあ、太郎がこんな目にあえばいいのか”という声が聞こえるんだ」と。
 太郎には「お前は次郎を押しのけて生きている」と聞こえ、次郎には「太郎がこんな目にあえばいいのか」と聞こえた声は、太郎の口から出てくるのでも次郎の口から出てくるのでもなさそうです。とするとやはり神や仏から来るのではないのか、と言いたくなるのですが、そう言ったからといって何の説明にもならないのはこれまで述べてきたとおりです。ものごとをいたずらに神秘化するのではなく、あくまでも「事象そのものへ」立ち返りたいと思います。
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