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1月12日(水) [矛盾について(その167)]

 ユークリッド幾何学の場合は幸いその外部に立つことができます。ユークリッド幾何学の公理に疑問を感じたら、非ユークリッド幾何学に転じればいいのです。しかし「この世にいる」ことは…。
 「この世にいる」ことはあらゆることの前提ですから、そこから外へ出るというわけにはいきません。何をするにせよ、その前提として「この世にいる」ことが必要ですから、その前提を否定することもその前提の上でしなければなりません。
 これは自分が自分に向かって「わたしは存在しない」と言うようなもので、明らかにナンセンスです。デカルトでなくても、「わたしは存在しない」と思う以上、そう思っているわたしはちゃんとそこにいるじゃないかと言うでしょう。
 さてしかし「自分のいのちを絶つ」ということはどう考えればいいのでしょう。もう「この世にいる」のが嫌になったからさっさとお暇しようと思い、あの世に旅立つ人がいるという事実はどうなるのでしょう。
 日本にいるのが嫌になったから、オーストラリアに新天地を求めるように、この世に見切りをつけてあの世に行くことができるのでしょうか。
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