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3月7日(月) [矛盾について(その221)]

 「背後の世界」を想定するのが宗教です。
 内部と外部については前に論じました。ぼくらは世界の内部にいますが、どう頑張ってもその外部に出ることはできないということでした。ぼくは日本の外部に出ることはできますが、そこは地球の内部であり、地球の外部に出たとしても、そこは銀河系の内部で、銀河系の外部に出られたとしても、そこは依然として宇宙の内部です。さて宇宙の外部に出ることはできるでしょうか。宇宙に外部があるとしましても、そこに出た途端、そこはより大きな宇宙(大宇宙としましょう)の内部です。その外に出たとしても、今度は大大宇宙の内部で、どこまで行ってもきりがありません。
ぼくらは内部に閉じられていて、外部に出ることはできないのです。
 としますと、ぼくらが何かを言うことができるのは内部のことで、外部については何も言うことができません。ところで「背後の世界」とは「この世界」とは別の世界で、要するに外部の世界でしょう。ということは、神や仏について何かを言うことは、外部の世界のことをあれこれ言うことに他なりませんが、そんなことがどうしてできるのでしょう。外部に出ることができないのに、どうして外部の世界についてあれこれ言うことができるのでしょう。ぼくがあくまで神や仏のことを持ち出さずに語りたいと思うのはそういうことです。
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