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3月18日(金) [矛盾について(その228)]

 今度の震災では「もらい泣き」をすることがしばしばです。悲しみに暮れている人の涙を知らないうちにもらっています。そして、それと同じくらい、被災した人に寄り添う人たちの何気ないことばにも涙をもらってしまいます。テレビに二人の女子中学生の姿が映っていました。避難所でボランティアとして働いているのですが、家族を探しに避難所にやってきた中年男性が、自分の子どもくらいの年の中学生に深々とお辞儀をしていた姿が忘れられません。きっとその中学生が中年男性の「あなた」となったのに違いありません。
 そんなふうに、あるとき誰かが誰かの「あなた」となる。
 このぼくもどこかで誰かの「あなた」となっているかもしれません。ぼくの何気ないひと言が誰かに「そのまま生きていていい」と聞こえたら、そのときぼくはその人の「あなた」となっているはずです。ぼくにはそんなことを言った覚えは全くないのに、誰かにそう聞こえたら、その人にとってぼくは「あなた」となるのです。としますと「あなた」とは「ぼく」のことです。こう見てきますと「あなた」とは「きみ」や「ぼく」のことで、どこにでもいる普通の人間です、決して特別な存在ではありません。いつも顔を見ている彼、彼女が、ある日「そのまま生きていていい」と言ってくれ、それがつき上げるような喜びとなるのです。

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