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3月24日(木) [矛盾について(その234)]

 「そのまま生きていていいのか」という刃のような問いが突きつけられたとき、自分でどれほど「このまま生きていていいのだ」と言い募っても何の足しにもなりません。「あなた」から「そのまま生きていていい」と言ってもらってはじめて「いる」ことに安堵できるのです。としますと「あなた」に遇うことは、取りも直さず「いる」ことに安心できるということです。
 ところがどれほど「あなた」に会いたくても会うことはできません、ただ遇うことができるだけです。自分で百万遍「このまま生きていていい」と言っても無駄ということ、それはたった一遍でもいいから「あなた」から言ってもらわなければならないということ、ところがどれほど「あなた」に会いたくても会えなくて、ただ遇うことしかできないということ。これらはすべてひとつに繋がりあっています。ぼくらが生きていく上でいなくてはならない「あなた」は、にもかかわらず内部にいないのです。どれほど会いたくても会うことはかないません。ところがふと気がつくと目の前に「あなた」がいる。そのときには、もうすでに「あなた」に遇っているのです。
 「あなた」に遇うのは奇跡のようなものです。

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