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6月17日(金) [矛盾について(その318)]

 先回、大津波で家族や友人を亡くした人が、「あの人たちが死んだのに、自分は生き残ってしまった」と自責の念に苦しむことがあると言いました。そのとき「このまま生きていていいのか」という問いが突きつけられています。
 さて、この問いは自分の中から出てくるのでしょうか、それとも誰かから問われているのでしょうか。「思いがけず」かどうかを見てみればいいのでした。もしその人がこころに疚しいことがあるとしますと(例えば、波に流されていたとき誰かがつかんでいた板を奪い取ったなど)、この問いは「思いがけず」ではありません。自分で問わずにいられない問いのはずです。
 しかし無我夢中で泳いでいる間に気がついたら奇跡的に助けられていたのですから、自分には何の責任もないはずです。にもかかわらず「多くの人が死んでしまったのに、このまま生きていていいのか」の問いが突きつけられる。これはまさに「思いがけず」です。思ってもみなかった問いの前に吊るされるのです。
 自分を助けてくれた人たちが、そのことを知ったらどうでしょう。「そんなふうに思うことはありませんよ。そりゃ亡くなった人たちは気の毒だけど、何もあなたの責任ではないのですから」と慰めてくれるに違いありません。
 でもこれは自分が問わずにいられなくて問うているのではなく、どこかからこの問いが自分に突きつけられてくるのです、「おまえが生き残っていいのか」と。としますと、もういやもおうもありません、気がついたらこの問いの前に立たされているのです。

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