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3月24日(土) [矛盾について(その599)]

 自分は誰かを犠牲にしようとは思わないし、またしていないと言う人に限って、平気で人を犠牲にするものだと言いました。逆に、自分は誰かを犠牲にしているのではないか、いや、しているに違いないと思う人ほど、できるだけ人を犠牲にしないように気をつけるのではないかと。
 そのことを思うとき、ぼくの頭に浮かぶことばがあります。唐代の僧、善導のことば「不得外現賢善精進之相内懐虚仮」で、普通によめば「外に賢善精進の相を現じて内に虚仮をいだくことをえざれ」となりますが、それを親鸞は「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮をいだけばなり」とよみます。
 「うわべだけ善人らしく見せて、こころの内にいつわりをいだいてはいけません」と「うわべだけ善人らしく見せてはいけません、こころの内にはいつわりをいだいているのですから」。それほど違わないように見えるかもしれません。どちらも、こころの内にはいつわりをいだきながら、外面はいい人を演じる偽善を叱っているのですから。でも、ことばの厳しさが格段に違います。
 前者は、善人らしくするのなら、こころの内もそれに相応しくととのえなさいと言っているのです。こころの中から虚仮を取り除きなさいと言っている。それができるはずだというのです。でも後者は、そんなことができる訳がないと見ています。われらのこころは虚仮ばかりだと見ているのです。だから「いい子ぶるのはよせ」と言っているのです。
 親鸞は善導のことばに出会ったとき、そこから「またおまえはいい子ぶっているな」という声を聞いたのではないでしょうか。

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