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5月11日(金) [矛盾について(その646)]

 かけがえのない人を亡くしたときの寂しさを癒してくれるであろうクローン人間や人型ロボットに対していだく違和感とは何でしょう。
 子どもを亡くすこと、自分の死を看取ってくれるはずの伴侶を亡くすこと、これはもちろん辛く悲しいことに違いありません。いなくなった子どもや伴侶に「もう一度戻ってきて」と呼びかけたくなるのは痛いほど分かります。でも、だからと言って、その代わりにクローン人間や人型ロボットを求めるでしょうか。そのような気持ちになること自体に違和感を覚えるのです。
 それでは亡くなった人たちに代わりがきくということにならないでしょうか。
 子どもを亡くした母親が知人から「まだ他に子どもがいるからいいじゃないですか」と慰められて、非常に腹が立ったという話を聞いたことがあります。亡くなった子どもに代わりはきかないのです。かけがえがないのです。
 では、子どもを亡くしたことはもう何ともならないとして諦めるしかないということでしょうか。何の慰めもないということでしょうか。身代わりを探すことはできないということではYESです。でも、亡くなった子どもは、かけがえがない子どもとしてそこにいるということではNOです。
 先ほどの腹を立てた母親は、亡くなった子どもの墓参りを毎日欠かさずしたそうです。その人にとって、そこにその子が紛れもなくいるからでしょう。

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