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5月22日(火) [『歎異抄』を読む(その7)]

 親鸞を僧としてではなく、時代と向き合った一人の思想家として捉えたいということですが、それと関連しておさえておきたいのは、親鸞は自らを「非僧非俗」と位置づけ、「愚禿親鸞」と名乗ったということです。その経緯を『教行信証』の末尾に親鸞自ら綴っています。ちょっと紹介しておきましょう。ここから親鸞という人の一面を垣間見ることができると思うからです。
 「主上臣下、法に背き義に違し、いかりをなしうらみをむすぶ。これにより真宗興隆の太祖、源空法師、ならびに門徒数輩、罪科をかんがへず、みだりがはしく死罪につみす。あるいは僧儀をあらため、姓名をたまふて遠流に処す。予はそのひとつなり。しかればすでに僧にあらず俗にあらず、このゆへに禿の字をもて姓とす。」
 ここには時代や社会に対する激しいプロテストがあります。そしてそのプロテストを自分の名前に刻みつけ「愚禿親鸞」と名乗るところに親鸞という人の一徹な精神を見ることができます。もはや僧ではない、しかしだからと言って俗でもない、というスタンスでこの時代この社会と向き合っていこうとしているのです。
 僧としての立場とは、お上からいわば国家公務員としての身分と収入を保証され、天皇・国家の安寧、そして世の民の救いを祈るということに他なりません。彼は35歳の時その地位から追放され、4年後に許された後もそこに戻らず非僧非俗の立場を貫きます。それは一人の人間として時代の悲しみ、社会の苦悩と向き合っていこうという姿勢だと思います。ぼくもそれを見習いたいと思うのです。

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