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真理の光 [生きる意味(その114)]

(18)真理の光
 愛って何でしょう。「ぼく」が「きみ」を愛するというのは本当の愛ではありません。「ぼく」も「きみ」もなくなるのが愛です。ひとつになること。いや、「ぼく」と「きみ」だけがひとつになっても、もうひとつの新たな「ぼく」ができるだけですから、みんながひとつになることです。いや、まだ違う。みんなが「ひとつになる」ではなくて、みんながもうすでに「ひとつである」こと。これが愛です。これが愛を生きるということです。
 真理を生きるというのも同じことです。真理を生きるとは、さまざまな苦しみから救われるということに他なりませんが、「ぼく」が救われることは、本当の救いではありません。「ぼく」も「きみ」もなく救われるのが救いです。ですから、真理を生きることができるとするならば、もうすでにぼくらすべてが真理を生きているはずです。ぼくらが生きていることが、そのまま真理を生きることなのです。
 こんな言い方はどうでしょう。ぼくらは真理の光を燦燦と浴びているのです。その光は分け隔てなく、すべての人に降り注いでいます。ぼくには真理の光は届いていないと言う人は、惜しみなく降り注いでいる光に気づいていないだけなのです。
 光はどこかに閉じ込めることができません。どこかに閉じ込めて独り占めしようと思っても無駄です。そもそも光は届いてこそ存在するのです。ここが大事なところで、光はどこかに「ただそれだけで存在する」ことはできません。誰かに届いてはじめて存在するのです。

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