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信心かはらじとおもひさふらへども [『末燈鈔』を読む(その272)]

(10)信心かはらじとおもひさふらへども

 日付けの9月7日は、おそらく建長8年のことと思われます。第2通は建長8年の5月29日ですので、この手紙はそれから約3ヵ月後ということになります。
 第2通は慈信房を義絶するという内容でしたから、全体に悲しみがおおっていましたが、この手紙は打って変わって喜びに満ちています。まず「鎌倉にての御うたへ」のことが無事に終わり、その渦中にあった性信房も「こゝろやすくならせたまひてさふらふ」ことは、なにより肩の荷が下りたことでしょう。それに武蔵の国から訪ねてこられた二人の念仏者が、性信房の勧めで念仏の生活に入られたと聞いて、「かへすがへすうれしうあはれにさふらふ」と喜んでいます。
 第2通では、慈信房の持ち込んだ混乱により「常陸・下野の」念仏者たちが「みなかはりあふておはしますときこえさふらふ。かへすがへすこゝろうくあさましく」思うと述べていたのと比べて、ここでは、訪ねてこられた二人に「御念仏の御こゝろざしおはしますとさふらへば、ことにうれしうめでたふおぼえさふらふ」と明るい気持ちになっています。
 そしてこの人たちの信心が堅固でありますように、「信心かはらぬ様に」と祈るような気持ちが滲み出ています。
 人々の信心が変わるということ、ここに親鸞の思いは向かっています。「如来の御ちかひのうへに、釈尊の御ことなり。また十方恒沙の諸仏の御証誠」がありますから、「信心かはらじ」と思うにもかかわらず、「様々にかはりあはせたまひてさふらふ」はどういうことだろう、と。
 何ごとも無常だから、変わっていくのが普通だという見方が普通かもしれません。歳とともに体力が落ちていくのは世の習いですから、それを変らずに保つにはよほどの努力が必要です。しかし、信心も堅固に保とうとすれば怠りなく努めなければならず、放っておくと変わってしまう、のでしょうか。


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