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悩ましい葛藤 [「『おふみ』を読む」その55]

(15)悩ましい葛藤

ただ、厄介なことに、「もの忌み」は世のしきたりとして通用しています。その世の中で社会生活を送るとき、どうすればいいか、という問題があります。蓮如はこの「おふみ」のなかで、ちょっと意味の取りにくい言い回しをしています、「他宗にも公方にも対しては、などか物をいまざらんや。他宗・他門にむかひては、もとよりいむべきこと勿論なり」と。このことばで具体的にどんなことが思い浮かべられていたのか、しかとは分かりませんが、世のしきたりに反するようなことはしません、と言っているのでしょう。念仏者としては「もの忌み」をしませんが、世の付き合いとしてそれをあえて拒むことはありません、ということでしょう。

さてしかしこれは、言うは易く行うは難し、です。

内村鑑三不敬事件を思い出します。内村は1891年(明治24年)に第一高等中学校において行われた教育勅語奉読式に際して、勅語に対し最敬礼をしなかったことが天皇への不敬であるとして同僚や生徒から問題とされ、結局辞職に追い込まれたという事件です。天皇の御名御璽(ぎょめいぎょじ)に対して最敬礼をするというしきたりに、内村はキリスト者としての良心から従うことができなかったのです。キリスト者として神以外のものへの崇拝を拒否することと、世のしきたりとして天皇に対して最敬礼することの間で引き裂かれた内村は軽く会釈することで何とか折り合いをつけようとしたのでしょうが、世間はそれを許さなかった。

念仏者としては「もの忌み」をしないことと、世のしきたりとしての「もの忌み」は拒否しないことの間にも悩ましい葛藤がつきまといます。まあしかし「もの忌み」のレベルでしたら、目をつぶって世間に付き合うこともできますが、それが天皇崇拝や神社参拝の強制へと進んでいきますと、深刻な葛藤に苦しまなければなりません。これが仏法と王法の問題ですが、この重要な問題については後の「おふみ」に譲ることにしましょう。

(第4回 完)


タグ:親鸞を読む
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