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もの忌み [「『おふみ』を読む」その54]

(14)もの忌み

前段に「昔より人こぞりてをかしくきたなき宗と申す」とありましたが、そのように世間が真宗を排斥する要因として最たるものは、おそらく真宗は「もの忌み」をしないことだろうと思われます。「吉日良辰をえらぶ」ことはいまも広く行われていて、結婚式は大安の日を選び、葬式は友引の日を避けるのが普通です。多くの人は、そんなのは意味がないと思いながら、こころのどこかで気にしているのではないでしょうか。あるいは神社でおみくじを引き吉凶を占うなどというのも一向に廃れる気配はありません。古来の呪術性はぼくらの中に強力に生き続けているのです。「門徒ものしらず」という蔑みのことばは、そのような中から生まれてきました。

しかし、真宗の門徒がそのような呪術性と習合することなく、「もの忌み」と一線を画してきたのは仏法者として誇りとすべきことです。「人こぞりてをかしくきたなき」と言おうとも、「門徒ものしらず」と言おうとも、それに動じることはありません。仏法者として仏法僧の三宝に帰依するのみで、それ以外のものに帰依しないのは当然のことです。しかしだからと言って「吉日良辰をえらぶ」人たちを謗ることもありません。われが正しく、あなたたちは間違っていると争いをもちかける必要はまったくありません。ここが、先ほど言いました、折伏の思想と異なるところです。

以前読んだ本(『他力の思想』山本伸裕著)に「『仏教とは何か』という問いに、私は迷わず『頷きの精神史』と答えたい」とありました。著者は「頷き」ということに仏教の本質を見出し、それを「自説を説得する」ことと対照させます。「頷く」というのは、自らの内で深く感じるということ(彼は「自内証」という仏教語を持ち出します)で、それは自説にこだわり、それを人に納得させようとするのとは著しいコントラストをなすと言うのです。自らの内に深く頷いたことは、たとえ他の人がそれに納得しなくても何の痛痒も感じないと。


タグ:親鸞を読む
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