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第1帖・第9通、後段 [「『おふみ』を読む」その53]

(13)第1帖・第9通、後段

つぎに、物忌(ぶっき)ということは、わが流には仏法についてものいまぬといることなり。他宗にも公方(くぼう)にも対しては、などか物をいまざらんや。他宗・他門にむかてはもとよりいむべきこと勿論なり。またよそのの物いむといてそしることあるべからず。しかりといども、仏法を修行せんひとは、念仏者にかぎらず、物さのみいむべからずと、あきらかに諸経の(もん)にもあまたみえたり。ま『涅槃経』にのたまく、「如来法中(にょらいほうちゅう) 無有(むう)選択(せんじゃく) 吉日(きちにち)(りょう)(しん)」といり。この文のこころは、如来の法のなかに吉日良辰をえらぶことなしとなり。又『(はん)(じゅ)(きょう)』にのたまわく、「優婆夷(うばい)是三昧欲学者 乃至 自帰命仏命法帰命比丘僧 不得事余道不得拝於天不得祠鬼神不得視吉良日以上といへり。この文のこころは、「優婆夷この三昧を聞きて学ばんと欲せんものは、みづから仏に帰命し、法に帰命せよ、比丘僧に帰命せよ、余道に(つか)ることをざれ、天を拝することをざれ、鬼神をまつることをざれ、吉良(きちりょう)(にち)視ることをざれといり。かくのごとくの経文どもこれありといども、この分を(いだ)なり。ことに念仏行者はかれらに事ふべからざるうにみえたり。よくよくこころうべし。あなかしこ、あなかしこ。

文明五年九月 日

(現代語訳) 次に「もの忌み」についてですが、当流においては仏法について「もの忌み」をしません。しかし他宗の人や幕府に対しては「もの忌み」をしないことはありません。他宗他門の人と対するときは「もの忌み」をするのはもちろんです。また、他の人が「もの忌み」をするのを悪く言うべきでもありません。ただ、仏法を修行する人は、念仏者に限らず、「もの忌み」をするべきではないと、いろいろな経典に説いてあります。まず『涅槃経』には「如来の法のなかに吉日良辰(縁起の良い日と時)をえらぶことなし」とありますし、『般舟三昧経』には「優婆夷(在家の女性信徒)この三昧をききてまなばんと欲せんものは、みずから仏に帰命し、法に帰命せよ、比丘僧に帰命せよ、余道につかうることをえざれ、天を拝することをえざれ、鬼神をまつることをえざれ、吉良日をみることをえざれ」とあります。このような経文はたくさんありますが、いまはこれにとどめます。とりわけ念仏行者は仏法僧以外のものにつかえてはいけないと思います。よくよくお心得ください。謹言。

 文明5年(1473年)9月 日


タグ:親鸞を読む
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