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本文2 [『一念多念文意』を読む(その14)]

               第2回 即得往生とは

(1)本文2

 「諸有衆生(しょうしゅじょう)」といふは、十方のよろづの衆生とまふすこころなり。「聞其名号(もんごみょうごう)」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて、うたがふこころなきを聞といふなり。またきくといふは、信心をあらわす御のりなり。「信心歓喜乃至一念(しんじんかんぎないしいちねん)」といふは、「信心」は、如来の御ちかひをききて、うたがふこころのなきなり。「歓喜」といふは、「歓」はみをよろこばしむるなり、「喜」はこころをよろこばしむるなり、うべきことをえてむずと、かねてさきよりよろこぶこころなり。「乃至」は、おほきおも、すくなきおも、ひさしきおも、ちかきおも、さきおも、のちおも、みな、かねおさむることばなり。「一念」といふは、信心をうるときの、きわまりをあらわすことばなり。

 (現代語訳) (『無量寿経』に第十八願の成就文として「諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念、至心回向、願生彼国、即得往生、住不退転(あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向せしめたまへり。かの国に生ぜんと願ぜば、すなはち往生を得、不退転に住せん)」とありますが)「諸有衆生」と言いますのは、十方世界のすべての衆生ということです。「聞其名号」と言いますのは、本願の名号を聞くということです。「聞く」と言いますのは、本願を聞いて疑う心のないことです。また「聞く」と言いますのは、信心をあらわすことばです。「信心歓喜乃至一念」の「信心」とは、如来のお誓いを聞いて、疑う心のないことです。「歓喜」というのは、「歓」は身を喜ばせることで、「喜」は心を喜ばせること、得るべきことをすでに得たと、前もって喜ぶことです。「乃至」とは、多いも少ないも、久しいも近いも、先も後も、みんなかね収めることばです。「一念」とは、信心を得る瞬間の極まりを表すことばです。

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