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12月27日(月) [矛盾について(その151)]

 煩悩の虫どもはぼくがぼくであることにとても敏感で、ぼくがぼくであることに赤ランプが灯りますと「すわ一大事」と緊急発進してくるのです。ですから煩悩の虫どもをなるべく刺激しないようにするには、ぼくがぼくであるのはたまたまのことに過ぎないと思うようにすればいいのです。これが宿業の思想です。ぼくが中国人ではなく日本人であるのも、富豪の家に生まれず庶民の家に生まれたのも、商人ではなく教師という職業についたのもみな宿業によるのです、たまたまのことに過ぎないのです。
 このようにぼくがぼくであることは宿業によるのですが、ぼくが何をするかはぼくの意思が決定します。だから悪人であることは許されても、悪をすることは許されません。ぼくがぼくであるのはたまたまのことだと思うことによって煩悩の虫どもをなるべく刺激しないようにしているつもりでも、その隙を縫うように虫どもがひょっこり顔を出すことがあります。こうしてぼくの手はつい悪に染まることになるのですが、これは宿業のなせる業だからぼくの責任ではないと言うわけにはいきません。悪に手を出したのは紛れもなくこのぼく自身なのですから。やはり悪人であることと悪をすることはきっぱり分けなければなりません。そして悪人のままで許されているとしても、何をしてもいいということではありません。できるだけ悪から遠ざかるようにし、できるだけ善に近づくようにしなければならないのです。
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