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5月1日(日) [矛盾について(その272)]

 「見る」モードと「感じる」モードと並べましたが、自分の都合でそのどちらかを選べるわけではありません。よし、この辺で「見る」モードから「感じる」モードに切り替えるか、というわけにはいきません。ぼくらは普段「見る」モードに入っていなければなりません。主体と客体、実体と属性、原因と結果といった道具立て(眼鏡)を持っていなければ、目の前は混沌そのものです。ところがあるとき突然「感じる」モードに切り替わるのです。切り替えるのではありません、思いがけず切り替わるのです。これが「向こうから」ということです。「向こうから」何かがやってきて、それに襲われるのです。気がついたら、もうすでにそれに包み込まれているのです。
 そのときぼくらは「感じる」モードの中にいます。それは「共時性」のモードで、通常の時間の流れはありませんから、どれくらいの時間かと問われても答えようがありませんが、とにかくまた突然「見る」モードに切り替わります。誰かに名前を呼ばれてふと「我に返る」ことがありますが、そんな感じでまた主体と客体の世界に戻ってくるのです。「我に返る」ということは、それまでは我を忘れていたということです。主体と客体とが一体である世界にたゆたっていたのです。念のために言っておきますが、これは意識がなくなるのとは違います。何かを感じていることをきちんと意識しています。ただその意識のありようが変容しているのです、「見る」モードから「感じる」モードへと。


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