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7月19日(木) [『歎異抄』を読む(その65)]

 前に、ぼくらにも利他の心、「生かしめんかな」の心があるのではないかと言いました。そして第4章はそれをあまりにも軽視しているのではないかと。しかし、よくよく考えてみますと、「生かしめんかな」の心を「ぼくらの」心と言っていいのでしょうか。
 もう一度秋葉原の現場に戻りたいと思います。
 あのタクシーの運転手さんは、人が次々とはねられるのを見て、思わず飛び出した。その時彼には「生かしめんかな」の声が聞こえていたと思いますが、その声は彼の声でしょうか。どうもそうではないように思うのです。自分が「生かしめんかな」と思ったというよりも、どこかから「生かしめんかな」の声が聞こえて、それに背中を押されるように飛び出したのではないか。
 「思わず」飛び出したというのは、自分の意志でというよりも、何か見えない力に押されて、気がついたら飛び出していたということではないでしょうか。
 ボランティア元年と言われるのが、阪神淡路大震災の1995年です。あの時、多くの若者がリュックを背負って神戸の街を目指しました。リュックの中には水の入ったペットボトルがいくつも入っていました。そして電車が動きませんから線路を歩いて行ったのです。その一人がこう言っていたのが印象に残っています、「テレビを見ているうちに、居ても立ってもいられなくなり、とにかく行かなくちゃと思って来てしまいました」と。彼も、どこかから「生かしめんかな」の声が聞こえてきたのに違いありません。
 ボランティアとは「自発的」という意味ですが、「自ら」というよりも「他から」促がされているのでしょう。

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