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『恵信尼消息』第5通 [親鸞の手紙を読む(その124)]

       第12回 名号のほかにはなにごとの不足にて

(1)『恵信尼消息』第5通

 第3通につづいて第5通を読みます。2段に分け、まず第1段。

 善信の御房、寛喜三年四月十四日午の時ばかりより、かざ心地すこしおぼえて、その夕さりより臥して、大事におはしますに、腰・膝をも打たせず、てんせい、看病人をもよせず、ただ音もせずして臥しておはしませば、御身をさぐれば、あたたかなること火のごとし、頭(かしら)のうたせたまふこともなのめならず。
 さて、臥して四日と申すあか月、くるしきに、「まはさてあらん」と仰せらるれば、「なにごとぞ、たはごととかや申すことか」と申せば、「たはごとにてもなし、臥して二日と申す日より、『大経』をよむことひまもなし、たまたま目をふさげば、経の文字の、一字も残らず、きららかにつぶさにみゆるなり。

 (現代語訳) 善信の御房(親鸞聖人)は、寛喜三年四月十四日の昼過ぎごろから、すこし風邪心地をおぼえられ、その夕方から床につき病状が重くなられましたが、腰や膝をさすらせることもなく、まったく看病人も寄せ付けられず、ただ静かに寝ておられますので、お身体を触ってみますと、火のような熱があり、頭痛もひととおりではありません。
 さて寝つかれて四日目の明け方、苦しそうな様子で「まだこんなふうであるか」と仰いますから、何のことでしょう、うわごとを申されたのでしょうかと申しますと、「いや、うわごとではない、寝ついて二日目ごろから『無量寿経』をひまもなく読み続けていて、眼をふさげば、経典の文字が一字残らずくっきりとつぶさに見えるのだよ」と申されます。

 この手紙には弘長三年(1263年)二月十日の日付があります。先の第3通を弘長三年の初めごろと推定しましたが、これも同時期の手紙で、先の手紙と同じように、親鸞在りし日の思い出を書き連ね、父上がどのような方であったのかを娘に知らせようとしていることが分かります。文中の寛喜三年は1231年で、親鸞59歳のときにあたりますが、ひどい風邪をひいて寝込んだときのことを語っています。恵信尼はそのときを、もう30年以上前のことなのに、四月十四日の午の刻と非常に細かく書いていて、さらにその少し後の手紙で、日記に当たってみた結果として、寝寝込まれた日付を四月四日に、「まはさてあらん」と言われた日を十一日と訂正しています。その記憶力のよさ、さらには日々の出来事をきちんと日記に記録し、それに当たって確認する几帳面さには驚かされます。

タグ:親鸞を読む
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