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8月10日(火) [矛盾について(その14)]

 「パレスティナはユダヤ人の土地だ」も「パレスティナはアラブ人の土地だ」も事実を記述しているのではなく、それぞれの意思を表明しているということを確認しておくのは非常に大事です。これらの権利の宣言がともすると事実の記述と誤解されるからです。「ここはわれらユダヤ人の土地である」という主張が「ここはダビデ、ソロモンの時代から、いや、アブラハムとイサクの時代からわれらにとっての“約束の地”である」という主張に置き換わりますと事実をめぐる争いのように見えます。
 アラブ人もパレスティナに昔ユダヤ人の王国があった事実を否定はしないでしょう。その事実を認めながら、自分たちがここに住み続けてきたことから「ここはわれらの土地である」と主張しているのです。長年住み続けているのに、ある日突然「ここはユダヤ人の“約束の地”である」と宣言されたアラブ人は青天の霹靂でしょう。ある日見ず知らずの人がぼくの家を訪ねてきて、「この土地は神君家康公からわが先祖が賜った土地である」と主張するようなものです。30年前にローンを組んでこの土地を手に入れたぼくとすれば、「そんなこと知ったことか」と言いたくなります。
 「ここはユダヤ人の土地だ」という意思の表明が、気づかない間に「旧約聖書にここがユダヤ人の“約束の地”だと書いてある」という事実の記述、さらには「ここにユダヤ人の王国が栄えていた」という事実の記述にすり替わっているのです。それらの事実の記述は正しいでしょう。そしてそれらは「ここはユダヤ人の土地である」という意思の表明にとって有力な根拠となるでしょう。でも、事実の記述と意思の表明は全く別です。事実の記述がどれほど正しいからといって、「ここはユダヤ人の土地である」という意思の表明が正しいことにはなりません。「ここはアラブ人の土地である」にも、負けず劣らず有力な根拠があるからです。
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