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8月24日(火) [矛盾について(その28)]

 「見る」(事実を記述する)のは客観的で、「感じる」(感情を表出する)のは主観的です。
 それは、何かを「見る」ときは、見る主観にかかわらず、そこに何かがありますが、何かを「感じる」ときは、そこに何かがあるかどうかは感じる主観によるということです。ぼくが何かを見るとき、もし誰かがそれを見ないとしても、それはその人が見ないだけで、その人にとってもそこに何かがありますが、ぼくが何かを感じるとき、もし誰かがそれを感じなければ、その人にとってそこには何もありません。
 あるテレビ番組で日韓の若者たちがいわゆる歴史問題について議論していました。たまたまその一部を見ただけですが、ひとりの日本人青年が「日韓併合によって日本と韓国はひとつの国になったのだから、その大日本帝国がやったことにはもう日本人も韓国人もなく、みんなでやったことだ」と発言して、韓国人から猛烈な反発が起こりました。その中で、ある在日の映画監督は「きみには歴史を語る資格がない」と言い、それに対して日本の大学教授が「たとえどんな歴史認識であっても、それを語る資格がないと言うのはどんなものか」と批判していました。
 ここに客観性と主観性の問題が顔を出しています。
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