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3月3日(木) [矛盾について(その217)]

 「ぼく」と「きみ」には対称性があり、互いに相手の立場に立って了解しあえるということを見てきました。
 では「わたし」と「あなた」の間ではどうでしょう。「あなた」が普通の二人称代名詞として使われていれば、「ぼく」と「きみ」の場合と何も変わりません。ひとつの土俵の上で、お互いに相手の立場に立つことができます。しかし「あなた」には、もうひとつの使い方がありました。「わたし」の「いる」ことは「あなた」によってはじめて肯定されるという場合の「あなた」です。この「あなた」は「わたし」と同じ土俵に立っているのでしょうか。そこに対称性があって、「わたし」は「あなた」の立場に立ち「あなた」は「わたし」の立場に立つことができるでしょうか。
 もう一度「先生、今日の授業おもしろかった」に戻りますと、こう言った生徒がそのときぼくの「あなた」になってくれたのですが、それはぼくにとって思いもかけないことです。予測もつかないことです。ひとりの生徒が次にどのような行動をとるかはある程度予測することができます。もちろん外れることがあるのは前にも言った通りですが、このような状況ではこうするだろうと思い描くことができます。でも誰かが「あなた」として、いつ、どんなふうに目の前にたち現われるかは全く予測できません。それはもう突然、思いがけなく起こるのです。
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