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3月18日(月) [はじめての親鸞(その81)]

 「おかえり」と「ただいま」。
 別にどちらが先でもいいじゃないかと言われそうです。実際「おかえり」が先になることもあります。無言で帰ってきた子どもに気づいた母親が「おかえり」と言い、それに子どもが「ただいま」と応じるのはよくあることです。でも、そのことを言っているのではありません。子どもが「ただいま」と家に帰ってくるためには、前もって「おかえり」の声が聞こえていなければならないのではないかと言いたいのです。「おかえり」の声がすでに耳の奥に響いているから、「ただいま」と元気よく帰れるのではないか。
 そんな声は意識しないのが普通です。お母さんの「帰っておいで」など意識することなく思う存分外で遊びまわり、「あゝ、はらへった」と家に向かうものです。ぼくらは空気があるから生きていられるのに、そんなこと意識せずに生きています。空気の存在を意識するのは、山登りをして空気が薄くなってきたときです。同じように、「おかえり」の声が聞こえているから「ただいま」と帰っていけるのに、そんなこと思いもせずに暮らしています。当たり前すぎて気づかないのです。
 ところがあるとき「帰っていいのか」と不安になることがあります。学校で取っ組み合いの喧嘩になり、相手を怪我させてしまった。急に家の敷居が高くなり帰りづらくなります。そんなときです、ふと「おかえり」の声が聞こえているのに気づくのは。「帰っておいで」の声が聞こえているから「ただいま」と玄関をくぐることができるのです。やはり「おかえり」が先で「ただいま」は後ではないでしょうか。
 「あなた」がいて「わたし」がいるのです。


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