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世俗の天子幸臨し [親鸞の和讃に親しむ(その49)]

(9)世俗の君子幸臨し

世俗の君子幸臨し 勅して浄土のゆゑをとふ 十方仏国浄土なり なにによりてか西にある(第23首)

ときの皇帝いでまして、浄土のいわれ問いたまう。仏国あまねくあるなかで、いかなるわけで西という

ここで「世俗の君子」とは東魏(華北を統一した鮮卑族の北魏が東西に分裂します)の孝静帝のこととされます。第27首に「魏の天子はたふとみて 神鸞とこそ号せしか」とありますように、この天子は曇鸞をよほど尊敬していたと思われます。で、この天子が曇鸞のところにやってきて問うには、仏国土は十方にあまねくあるのではないのか、どうして西方にあると言われるのか、というのです。なるほど『大経』には「法蔵菩薩、いますでに成仏して、現に西方にまします。ここを去ること十万憶刹なり」とありますし、『小経』にも「これより西方に、十万憶の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽といふ」とあります。なぜ浄土は西方なのかというのはごく自然な疑問でしょう。夕方、太陽が輝きながら西の山に沈む様子を見て、ああ、あのむこうに極楽浄土があるのだ、と思うのは自然であるとしても、阿弥陀仏は「無量のいのち」であり「無量のひかり」ですから、その国土が一つの方角に限定されるというのはどういうわけかと思うのももっともです。

さて曇鸞はこの問いにどう答えたかといいますと、次の第24首にこうあります、「鸞師こたへてのたまはく わが身は智慧あさくして いまだ地位(じい、初地以上の位)にいらざれば、念力ひとしくおよばれず」と。「念力ひとしくおよばれず」に「おもふ力、余の浄土にはかなはずとなり」という左訓があり、西方の浄土を憶念するだけで精一杯ですということでしょう。当意即妙の答えと言うべきでしょうが、曇鸞の真意としては、西方と説かれているのは方便であって、それに囚われてはなりませんということではなかったでしょうか。そもそも阿弥陀仏とその浄土の教えそのものが、イメージしやすい物語として説かれていることから、阿弥陀仏と浄土を空間上のどこかに存在するものと語らざるを得ず、かくして一つの方角として西方が選ばれたということです。本来、「無量のいのち」や「無量のひかり」は時空を超越しています。


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四論の講説さしおきて [親鸞の和讃に親しむ(その48)]

(8)四論の講説さしおきて(これより曇鸞讃)

四論の講説さしおきて 本願他力をときたまひ 具縛の凡衆をみちびきて 涅槃のかどにぞいらしめし(第22首)

空の教えをさしおいて、他力の教えときたまい、具縛の凡愚みちびいて、涅槃の門にいれたまう

曇鸞は龍樹の徒(四論宗)として出発しますが、一つ前の第21首に詠われていますように、菩提流支に遇ったことが機縁となり、浄土の教えに目覚めたとされます。そして「四論の講説さしおきて、本願他力をときたま」うこととなるのですが、どうして空をさしおいて、他力をえらぶことになるのでしょう。空と他力はどちらも釈迦の縁起にもとづいており、決して別ものではないでしょう。しかし両者は説くことばが違うと言わなければなりません。「事実として説くことば」と「物語として説くことば」の違いです。片や「世界の実相は空である」と語り、片や「われらは弥陀の本願力により生かされている」と説きます。

空を事実として語るということは、空という事実をわれらが「つかみとる」ことができるし、「つかみとらなければならない」ということです。これが〈自力〉聖道門のとる道です。一方、本願力を物語として語るのは、本願力をわれらが「つかみとる」ことはできないということ、逆にわれらが本願力に「つかみとられる」ことで救われるのだと言っているのです。これが〈他力〉浄土門のとる道です。そこから翻って〈自力〉聖道門を顧みますと、空も実はわれらがつかみとることのできることではなく、むしろそれにわれらがつかみとられるのですが、それを事実として語ることによって、われらがその事実をつかみとらなければならないと思い込んでいたのです。かくして「四論の講説さしおきて、本願他力をときたま」うこととなります。

「涅槃のかどにぞいらしめし」という言い回しも味わい深い。「涅槃そのもの」にいらしめるのではありません、「涅槃の門」にいらしめるのです。聖道門では空の実相をつかみとることで「涅槃にいる」ことができると説きますが、浄土門では弥陀の本願力につかみとられることで「涅槃の門にいる」ことができると説きます。いや、本願力につかみとられたそのとき、気がついたらもうすでに「涅槃の門」に入っているのであり、それが往生に他なりません。


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信心すなはち一心なり [親鸞の和讃に親しむ(その47)]

(7)信心すなはち一心なり

信心すなはち一心なり 一心すなはち金剛心 金剛心は菩提心 この心すなはち他力なり(第19首)

信心すなわち一心で、一心すなわち金剛心。金剛心は菩提心、これみな他力に他ならず

「信心すなはち一心なり」と言われている「一心」は、天親が『浄土論』の冒頭で「世尊、われ一心に尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず」と述べている「一心」のことです。「一心」とは普通、ふたごころなく、ただひたすら、といった副詞の意味で受け取りますが、親鸞はこれを「信心」をあらわすと見ているのです。すなわち、信心とは「わたしのこころ」と「ほとけのこころ」が「ひとつのこころ」になることです。こちらに「わたしのこころ」があり、あちらにある「ほとけのこころ」を信じるというのではなく、もう「わたしのこころ」と「ほとけのこころ」が一体となって切り離すことができないということです。もし両者が別でしたら、いつでもその間に疑いが忍び込む可能性がありますが、両者は一心ですから、もはやどんな疑いも入り込む隙間がありません。

これが「一心すなはち金剛心」ということです。

さて「わたしのこころ」と「ほとけのこころ」が「ひとつ」になると言っても、「わたしのこころ」が「ほとけのこころ」に融解して無くなるということではありません(それは文字通り仏になるときでしょう)。「ひとつ」になるとは、「わたしのこころ」が「わたしのこころ」のままで「ほとけのこころ」のなかに包みこまれているということです。しかもそれは、あるとき突然包みこまれるということではありません、もうずっとむかしから包みこまれていたことにあるときはたと気づくのです。これまでは、ひたすら「わたしのこころ」しかありませんでしたが、「わたしのこころ」はそのままで「ほとけのこころ」に包みこまれていると気づく、これが信心です。この信心=気づきは「わたしのこころ」に起りますが、「わたしのこころ」が起こすことはできません。それは「ほとけのこころ」から起こされるのです。

これが「この心すなはち他力なり」ということです。


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願作仏の心はこれ [親鸞の和讃に親しむ(その46)]

(6)願作仏の心はこれ

願作仏の心はこれ 度衆生のこころなり 度衆生の心はこれ 利他真実の信心なり(第18首)

願作仏心なるものは、度衆生心にほかならず、度衆生心というものが、利他のまことのこころなり

自分が救われたいという願い(願作仏心-自分が仏になることを願う心)は、衆生を救いたいという願い(度衆生心-衆生を済度しようとする心)とひとつであると詠われます。しかしどうしてそんなことが言えるのでしょう。自分が救われたいということでもう頭がいっぱいで、他人を救うなんて思いもつかないのではないのか。そもそも自分が救われていないのに、どうして他人を救うことができようか、と思うのが普通ではないでしょうか。まず自分、他人のことはその先だと。これはしかし「自力のこころ」です。自分で自分を救わなければと思い、そのためにはどうすればいいのかと必死に考えています。そうして首尾よく自分を救うことができたら、そのときに他人を救ってあげることもできるだろうと思っているのです。

しかしここで詠われているのは「利他真実の信心」です。この「利他」はわれらの「利他」ではありません、如来の「利他」です。ここで先回りして曇鸞を持ち出しますと、われらに「他利(他が利する)」はあっても「利他(他を利する)」はありません。「利他」は「ほとけの心」です。われらの救いは、われらがそれを願うより前に「ほとけの心」から願われているのであり、われらはただそのことに気づくだけです。われらの「救われたい」という願いの底に、ほとけの「救いたい」という願いがあることに気づき、だからこそ「救われたい」と願うのです。そして、ほとけの「救いたい」という願いは、一切の衆生を「救いたい」という願いですから、われらが「救われたい」と願うとき、その底に他を「救いたい」という願いがあることに気づきます。かくして「救われたい」は「救いたい」とひとつです。


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本願力にあひぬれば [親鸞の和讃に親しむ(その45)]

(5)本願力にあひぬれば(これより天親讃)

本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水(じょくすい)へだてなし(第13首)

本願力におうたらば、そのまま過ぎるひとはない。功徳の宝みちみちて、煩悩あれどへだてなし

『浄土論』の有名な一節、「仏の本願力を観ずるに、遇ひて空しく過ぐるものなし」をもとに、本願力に遇うことができさえすれば、われらはこの人生を空しく過ごすことはなくなると詠います。それを裏返して言えば、本願力に遇うことができなければ、われらはこの人生を空しく過ごさざるをえないということです。本願力に遇うことで「前念に命終し、後念に即生する(前念命終、後念即生)」(善導)のであり、そのときを境に人生が一変するのです。さてしかし人生を空しく過ごすとはどういうことでしょう。それは、いつも「わたしのいのち」にケチをつけながら生きるということです。これは「わたしのいのち」であり、すべてはこの「わたしのいのち」あってのものだねと思いながら、その「わたしのいのち」になんだかんだとケチをつける。いや、すべてはこの「わたしのいのち」にかかっていると思うからこそ、その「わたしのいのち」にあれこれと不満をもつことになるのです、「“わたしのいのち”はこんなはずじゃない」と。

問題の根源は「わたしのいのち」がすべてという了見にあります。「わたしのいのち」がすべてであるということは、それがなくなったら一切が終わりということになります。ですから、できるだけ「わたしいのち」を永らえさせようと涙ぐましい努力をすることになるのですが、であればこそ、どうして「わたしのいのち」はこうも病気がちなのかと不平をかこつことになります。また「わたしのいのち」を輝かせていかなければいけないのに、他のいのちたちと比較してどうしてこんなにも冴えないのかと虐めるのです。しかし、本願力に遇うことができますと、それがとんでもない了見違いであることに気づかされます。「わたしのいのち」は「わたしのいのち」のままで「ほとけのいのち」に他ならないことに目覚めるのです。「わたしのいのち」はもちろん至らないところだらけですが、でもそのままで「ほとけのいのち」に生かしていただいているのですから、それ以上何を言うことがあるでしょうか。「ありがたい、南無阿弥陀仏」と言うしかないではありませんか。


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生死の苦海ほとりなし [親鸞の和讃に親しむ(その44)]

(4)生死の苦海ほとりなし

生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける(第7首)

生死の苦海ほとりなし、久遠劫より沈みたる、われらを乗せて渡すふね、弥陀の弘誓のほかになし

「生死の苦海ほとり(果て)なし」ということは、われらは死ぬまで我執による苦しみから離れることができないということです。我執とは「わたし(わたしのいのち)への囚われ」ですが、われらはこの囚われからすっきり抜け出すことはできません。我執から抜け出すことが悟りであると、あたかもそれが生きているうちにできるかのように説いてある本がありますが、我執から抜け出すことは「わたしのいのち」への囚われから抜け出すことであり、そして「わたしのいのち」への囚われからすっきり抜け出すということは「わたしのいのち」そのものから抜け出すこと、すなわち死ぬことに他なりません。かくしてわれらは死ぬまで「わたしのいのち」に囚われたまま生きるしかありませんから、「生死の苦海ほとり」なしです。

そんなわれらをそのままで、すなわち「わたしのいのち」に囚われたままで乗せてくれるのが「弥陀弘誓のふね(ほとけのいのち)」です。

「弥陀弘誓のふね」は「これから」乗り込むのではありません、実は「もうとうのむかしから」乗っているのです。ところがこれまでそれにまったく気づかずに過ごしてきたのです(それが「ひさしくしづめるわれら」ということです)。しかしあるときふと、「ああ、もう弘誓のふねの上にいるのだ」と気づかされる。そのとき同時に「わたしのいのち」に囚われていることにも気づかされており、「わたしのいのち」に囚われたままで「ほとけのいのち」に生かされているという安心(あんじん)をえることができるのです。このように「わたしのいのち」への囚われに気づくことと、「弥陀弘誓のふね」の上にいることに気づくことはひとつで、それが「その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん」(本願成就文)ということです。


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龍樹大士世にいでて [親鸞の和讃に親しむ(その43)]

(3)龍樹大士世にいでて

龍樹大士世にいでて 難行・易行のみちをしへ 流転輪廻のわれらをば 弘誓のふねにのせたまふ(第4首)

龍樹大師があらわれて、難行易行の道しめし、輪廻にしずむわれらをば、誓いのふねにのせたまう

同じことが正信偈では「難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ」と詠われています。さてしかし、歓喜地に至るのに、陸路を行くのは難しく、水道を行くのが易しいことは、そのどちらの道も経験して、その上ですでに歓喜地に至った人にしてはじめて知ることができます。としますと、その人はまず難行の陸路を歩み、その前途遼遠なることを思って天を仰いだそのとき、易行の水道があることに気づいたに違いありません。最初から易行の水道を行ったのであれば、わざわざ難行の陸路を経験することはありませんし、また難行の陸路を最後まで全うしたのであれば、易行の水道のことは知らず仕舞いでしょうから。

龍樹も、そして次の天親もまずは難行の陸路を歩み、そしてそのなかにおいて隆々たる成果を上げながら(龍樹は中観派、天親は唯識派の祖として後世人々から仰がれることになります)、しかしその途上において何か心から頷けないものを感じたのではないか、何ともならない行きづまりを感じていたのではないかと思うのです。そして悶々としていたとき『無量寿経』の教えに出あい、そのなかに自分の求めていたものがあることに気づいた。彼らはそれまでの難行の陸路の中で心が鍛えられ、研ぎ澄まされていたはずですが、そんな彼らの心に、乾いた大地が水を吸い込むように本願念仏の教えが染みとおっていったのではないでしょうか。

さてしかしなぜ空の教えは難しいのでしょう。空の教えとは「わたし」に囚われていること(我執)があらゆる苦しみのもとであるというものです。これはそこに到達したものにとっては深く頷くしかない真理ですが、これを目指して歩もうとするものにはとんでもない難題です。「わたし」に囚われていることを自覚し、それがあらゆる苦しみのもとにあることを自覚せよと言われても、それを自覚するのは「わたし」でしかないのですから、これはもう最初から無理難題と言わざるを得ません。こちらから「わたし」への囚われをつかまえようとしても、できることではないのです。ところが不思議なるかな、あるときむこうから「わたし」への囚われに気づかされるのです。それが本願に遇うということであり、そのときもう「弘誓のふね」に乗っているのです。


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本師龍樹菩薩は [親鸞の和讃に親しむ(その42)]

(2)本師龍樹菩薩は 

本師龍樹菩薩は 大乗無上の法をとき 歓喜地を証してぞ ひとへに念仏すすめける(第3首)

龍樹菩薩は大乗の、至極の法をときあかし、これぞ歓喜の境地とて、ひとに念仏すすめたり

先の和讃では無自性空を説く龍樹が詠われましたが、この和讃で本願念仏を説く龍樹が詠われます。「大乗無上の法」とは本願念仏の教えのことです。そして「歓喜地」には左訓がつけられ、「歓喜地は正定聚の位なり。身によろこぶを歓といふ、こころによろこぶを喜といふ。得べきものを得てんずとおもひてよろこぶを歓喜といふ」と丁寧に述べられています。「得べきもの」とは仏となることであり、「得てんず」を現代語訳しますと「かならず得るであろう」となります。正定聚不退とは「かならず仏となるべき身となる」(『浄土和讃』第117首の左訓)ことですが、それとピッタリ重なり、歓喜地に至ることは天に踊り地に躍るほどのよろこびであるということです。

龍樹『十住論』によれば、この歓喜地に至るのに「勤行精進の難行道」と「信方便の易行道」の二つがあるとされます。そして龍樹は易行道について、「もし人疾く不退転地(すなわち歓喜地)に至らんと欲はば、恭敬(くぎょう)の心をもつて執持して名号を称すべし」と説くのでした。さてしかし本願を信じ念仏を申すことで「かならず仏となるべき身となる」ことができ、「得べきものを得てんずとおもひてよろこぶ」ことができるというのはどういうことでしょう。

本願を信ずるとは「ほとけのいのち」に遇うことに他なりません。これまではただひたすら「わたしのいのち」を生きるだけでしたが、あるとき「ほとけのいのち」に遇うことができ、そこから「待っているよ、いつでも帰っておいで」と呼びかけられていることに気づくのです。そしてそのとき「わたしのいのち」は「わたしのいのち」のままで、同時に「ほとけのいのち」であることに思い至ります。これが「かならず仏となるべき身となる」ということです。

これが歓喜地でなくて何でしょう、これまでは「わたしのいのち」の自由を求めて、逆にそれにがんじがらめに束縛されていたのですが、いまや「わたしのいのち」のまま「ほとけのいのち」として自在に生きることができるようになったのですから。


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南天竺に比丘あらん [親鸞の和讃に親しむ(その41)]

第5回 高僧和讃(1)

(1)南天竺に比丘あらん(これより龍樹讃)

南天竺に比丘あらん 龍樹菩薩となづくべし 有無の邪見を破すべしと 世尊はかねてときたまふ(第2首)

南インドに僧ありて、龍樹菩薩と名のりいで、有見・無見を論破すと、釈迦はもとより予言せり

親鸞は龍樹を讃えるにあたり、信心の易行を説いたことと同時に、有無の邪見をうちやぶったことを取り上げます。しかし龍樹が信心の易行を説いたことと、有無の邪見をうちやぶったこととの接点は見いだしにくく、浄土の教えにおいて龍樹に言及される場合、空の思想はスルーされてしまうのが普通ですが、ここで親鸞は空の思想家(中観派の祖)としての龍樹に焦点をあてて詠っています。空とは、あらゆるものは他のものとの関係(つながり)においてあり、それ自体として存在するものはないという思想で、釈迦の縁起を無自性すなわち空として捉え直したものですが、さてそれは本願他力の思想とどのように関係しているのでしょう。

彼の印象的なことばに「去る人は去らない」(『中論』)とありますが、それは「(去る)人」と「去ること」を切り離すことはできず、どこかに「(去る)人」がそれ自体として(自性として)存在するのではないということです。われらはともすると、まず「(去る)人」がいて、しかる後にその人が「去る」という行動をすると思うものですが、しかし実は、ただ「去る人がいる」という事がらがあるだけです(去る人はもう去りつつあるのですから、その上にさらに去ることはありません)。そして「去る人がいる」こともまた他の無数の事がらと縦横無尽につながりあうことで成り立っています。としますと、まず「わたし」がいることがすべての始まりではなく、「わたし」もまたあらゆる事がらの縦横無尽のつながりのなかで生かされているということです。

「わたし」がいることがあらゆることの第一起点であるとするのが自力の思想で、それを哲学的に宣言したのがデカルトの「わたしは思う、ゆえにわたしはある」です。それに対して「わたし」もまた他のあらゆる事がらとのつながりのなかで生かされているとするのが他力の思想で、それを哲学的に宣言したのが龍樹の「去る人は去らない」です。かくして空と本願他力は別ものではないことが明らかになりました。


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われもと因地にありしとき [親鸞の和讃に親しむ(その40)]

(10)われもと因地にありしとき

われもと因地にありしとき 念仏の心をもちてこそ 無生忍(むしょうにん)にはいりしかば いまこの娑婆界にして(第117首)

修行の身にてあったとき、念仏の法あたえられ、不退のくらい定まりて、今この娑婆に戻り来て

念仏のひとを摂取して 浄土に帰せしむるなり 大勢至菩薩の 大恩ふかく報ずべし(第118首)

念仏のひと包み込み、浄土へともに帰らしむ、勢至菩薩の大恩を、忘れずふかく報ずべし

『浄土和讃』の終わりに「『首楞厳経(しゅりょうごんきょう)』によりて大勢至菩薩和讃したてまつる」と題され、8首が置かれていますが、これはその最後の2首です。どうして観音讃ではなく勢至讃を、という疑問が浮びますが、この後に「源空聖人御本地なり」とあることからその理由を推察することができます。親鸞は勢至菩薩の化身と信じられている法然聖人の恩を報じようとしてこの勢至讃をもってきたと思われます。ですから、この和讃で「われ」とはもちろん勢至菩薩ですが、親鸞は勢至菩薩を通して法然聖人の姿を忍んでいるのに違いありません。

さてここに「無生忍」ということばが出てきますが、これは「無生法忍」の略で、無生の法を受け入れるということです。無生の法とは、あらゆるものに自性はなく空であるということ、したがって生も滅もないという理法をさします。龍樹の『大智度論』には、これを不退の菩薩が得る境位と説いており、それを受けて和讃の左訓には「不退の位とまうすなり。かならず仏となるべき身となるなり」とあります。龍樹は『十住論』において、この不退の位(菩薩の階位で第41位、十地のはじめですので初地ともいわれます)に至るのに、難行の道と易行の道があるとして、「もし人疾く不退転地に至らんと欲はば、恭敬の心をもつて執持して名号を称すべし」と述べています。

それがこの和讃では「念仏の心をもちてこそ 無生忍にはいりしかば」と詠われているのですが、これはどういうことでしょう。本願念仏と無自性空とはどういう関係にあるのでしょう。それは、本願に遇うことは「わたし」に遇うことに他ならないということです。「わたし」に遇うと言いますのは、「わたし」に囚われて(我執です)がんじがらめになっていると気づくことです。本願に遇うまでは「わたし」あってのものだねと思い、「わたし」こそ自由と独立の砦と思い込んできましたが、それこそがほんとうの自由と独立を失わせている元凶であると気づくのです。本願に遇うことによってはじめて「わたし」に囚われていることに気づくということ、これが「念仏の心をもちてこそ 無生忍にはいりしかば」ということです。

(第4回 完)


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